以前当コラムで紹介した、『刑事司法とジェンダー』(インパクト出版会)では「性犯罪は、性欲が暴走した結果、生じるような単純な犯罪ではない」という分析がなされていました。性欲が溜まっている男性の目の前を、露出度の高い女性が通りすがる。男性は性欲を我慢できなくなり、女性に乱暴をしてしまう。著者の牧野雅子氏(京都大学 学際融合教育研究センター・アジア研究教育ユニット 研究員 社会学、ジェンダー研究)によれば、刑事司法はこうしたストーリーに性犯罪者を当てはめ、捜査や裁判をおこなっていると言います。入念な下調べや計画のうえで性犯罪が行われていたとしても、犯罪の原因が性欲という「本能」に無理矢理還元されることは、加害者から反省の機会を奪うものだとして、牧野氏は厳しく現行の刑事司法のあり方を批判しています。
入念な下調べや計画のもとで、本能的に女性を襲う犯罪者、という図の非現実性は、素人目にも明らかでしょう。しかし、刑事司法が設定するストーリーに性犯罪が乗らないのであれば、性犯罪者の心理はどのようなものなのか。
臨床の立場からこの問題を描く研究書に『性暴力の理解と治療教育』(誠信書房)があります。著者の藤岡淳子氏(大阪大学大学院人間科学研究科教授)は、各地の少年院で臨床心理士として性犯罪を犯した少年の治療教育にあたってきた人物。本書は基本的に著者と同じ仕事や、それに隣接する領域のプロフェッショナルに向けて書かれた専門書ですが、もっと広く読まれるべきものかもしれません。
性暴力で達成感を得ている加害者
タイトルに「治療教育」とあるぐらいですから、本書では「性暴力」という性犯罪のひとつが、治療すべきなんらかの病的なものとして見なされていることがまずわかります。しかし、それは刑事司法が言うような、性欲を暴走させる種類の病気ではありません。そもそも精神障害の診断基準を見ても、「強姦」に直接紐づくような分類は存在しないのです。
国際的に用いられている診断基準、DSM-IVには「性逸脱行動」という分類があります。そのなかには、露出症や窃視症(のぞき)などの性犯罪が含まれていても、言うなれば「強姦症」のようなものは存在しません。
レイプ加害者というと非情なモンスターのようなイメージを抱きがちです。たとえば、外見はごくごく普通の優しげな中年男性でも、心の奥底にはコントロールできない性欲のモンスターを飼っている犯罪者……という風に。しかし、藤岡氏はそのようなコントロール不能なものを抱えている性暴力者は、ほとんどいないと言います。
「そうなってしまえば、本当の意味での『病気』であり、責任能力もない、もしくは著しく限定されている」
これを逆に言い変えれば、性暴力が「本当の意味での『病気』」なのだとしたら、性犯罪者は、加害責任を問われないことを意味します。
それでは、筆者は、一体、性暴力をどのように見ているのか。
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