「おはなちゃんってさ、岡田斗◯夫に引っかかりそうな女だよね」
ネット界を賑わせたあの一件以降、よく言われます。年上男性に遊ばれていると気づかずに、愛されていると勘違いしている可哀想な女といったところでしょうか? はたまた、おじさんにしか相手にされない魅力もクソもない小娘ですか? 客観的に見ればそうなのかもしれません。
でも、ちやほやされることはいいことです。ブスだの馬鹿だの言われるよりも、「君は可愛いね~、いいこだね~」って言ってくれる人の傍にいたほうが、よっぽど健康的な心を保てます。これは、おじさんに限ったことではないですし、性別も関係もありません。自分のことを大事にしてくれる人と一緒にいると嫌な気持ちになることは少ないですし、自己肯定感も高まります。この「自己肯定感」がミソです。(ちやほやされることのメリットや自己肯定感については、コチラに詳しく書きました)
ところが、おじさん好きを公言するようになってから、「典型的な愛情欠陥の現れ」や「父親から愛されなかったんだろうな」などのお言葉をいただくようになりました。私としては、そういった感情を全く抱いていなかったので、目から鱗でした。
「えっ、私ってそう思われてるの……?」と。
私は本当に父親から愛されなかったか?
まずは、自分の幼少期から今までを振り返ってみることにしました。
営業マンの父は、帰りが遅いこともありましたが、基本的には家で一緒に夕食を食べ、お風呂にも入れてくれましたし、寝る前は子守唄を歌ってくれました。休日は昼食に簡単なパスタを作ってくれて、アウトドア好きの父は、連休にはキャンプへ行ったり、車で北海道まで行ったり、とにかくいろいろな経験をさせてくれたことを覚えています。
ここまで書いて思うことは、「とてもいいお父さん」であったということです。優しくて、面白くて、いつも私を楽しませてくれました。
中高時代は、両親が離婚したため一緒に暮らしてはいなかったものの、月に一度は一緒に食事をしたり、買い物に連れてってもらいました。入学祝いやお誕生日には必ずプレゼントを用意してくれて、いつもいつも気にかけてくれていました。中学から大学までは私立の学校に通っていたので、学費だけでも恐らく2000万円以上はかかっていたと思うのですが、父は養育費を全てきちんと払ってくれました。
先日、大学の卒業式が行われたのですが、泣いて喜んでくれました。ここまで育て上げてくれた父には感謝の思いしかありません。
というわけで、私は「父親から愛されなかった」と感じたことは一度もないので、“父親から充分に愛されなかったから、年上の男性に甘えたい”ということではなさそうです。ではなぜ、私は年上の男性に魅力を感じてしまうのでしょうか。
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