このコラムでは、何度かプリキュアをはじめとした女児・少女向けの戦闘ヒロインが、「愛と献身と自己犠牲と母性」によって、敵を倒すのではなく癒すことをディスってきました。
それは、社会が意識的にも無意識的にも女性に押し付ける「ケアとキュアと協調性」が、女児向けアニメにとりわけ顕著に表れていることへの堪え難い気持ち悪さと、にも関わらず、「ケアとキュアと協調性」を賛美するフェミニズム風な考え方が増えてきていることへの憤りがあるからです。
「改心」だけが「正義」なのか
フェミニズム・スタディーズ系の領域では、ライダーや戦隊物のような攻撃や破壊中心の戦闘シーンではなく、相手を思いやり癒すことが目的の戦闘シーンであることが「良い」とされてしまいがちです。
でも、私は「敵を倒(殺)さずに癒すこと」を無条件に賛美する方が、「敵を倒(殺)すこと」よりずっとヤバいことだと思ってしまいます。
それは、他者(敵)には他者の尊厳があるからに他なりません。もしも、女児向けアニメに出てくる敵が、「破壊と殺戮の限りを尽くすこと」を誇りに生きていたとしましょう、第三者から見ればそれは迷惑で害悪に他なりませんが、「破壊と殺戮の限りを尽くすこと」を誇りにしている人を「浄化」によって改心させて癒す。というのは、見方をかえれば他者を洗脳して服従させることであり、他者の尊厳を奪うことでもあります。
「他者の尊厳を奪う」という行為と、「他者の命を奪う」という行為はどちらの罪が重いのでしょう。法律上は、「他者の命を奪う」ことの方が重い罪です。それでは、「対立していた他者が自分の思想に従順になる」ことと、「対立していた他者が自らの意志を貫き死ぬ」ことでは、どちらの気分が悪いでしょう。多くの人は、「対立していた他者が自らの意志を貫き死ぬ」ことよりも、「対立していた他者が自分の思想に従順になる」ことのほうを気分良く感じるのではないでしょうか。
意地悪な見方をすると、「他者の尊厳を奪い」「対立していた他者を自分の思想に服従させる」ということは、女児向けの魔法少女たちがよくやる「浄化」にとても良く似ています。もっと意地悪な見方をすると、「浄化」は、「他者の命を奪うことなく=他者に自らの思想に殉じる権利すら奪う」という他者の尊厳を罪悪感すらなく奪い服従させるファシズムですらあります。
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