スカートをはいたオッサンに、涙が出たのは初めてだ。
といっても、本作『ボーイ☆スカート』(鳥野しの・著/祥伝社)の主人公がオッサンだというわけではない。物語は、わりと優秀で女子にもモテて年上の彼女までいる男子高校生・桃井太一が、何食わぬ顔でスカートをはいて登校するところから始まる。それも、その高校の女子制服のスカートを、である。
このような場合に起こる反応は、2パターンだ。
すなわち、「笑い」か「憐れみ」である。
「ウケるんだけどwwwwwwwスネ毛くらい剃れよwwwww」
「“性同一性障害”なの? 辛かったんだね……でもやっとありのままの自分になれたんだね!」
少なくとも現代日本社会において男がスカートをはく場合には、本人に「ウケをとりたい」とか「男の格好が苦しい」みたいな理由があり、それに応じて周囲には「笑う」か「憐れむ」という受け入れ方が求められている、ような気がしてしまう。ドンキに行けば男性用チアガール服がジョークグッズとして売っているし、ドラマの登場人物は重々しいBGMとともに「私、性同一性障害なの……」と涙する。メンズスカートを履く人もいるものの、ファッション誌のストリートスナップくらいでしか見かけないし、パリコレのランウェイをスカート姿で歩く男性モデルですらtwitterやNAVERまとめで笑いのネタにされる。面白くなければ、もしくはかわいそうでなければ、スカートをはくことを許さないという空気があるのだ。
そんな現代、男子高校生が学校にスカートをはいていって「別に理由はありません」では、やはり「はい、そうですか」で済まないだろう。本人にとって別に理由なんかなくても、周囲が理由を求めてしまうのだ。「どうして?」と。
でも……どうして、「どうして?」なんて聞くんだろう?
“スカートはいた男子高校生”桃井太一は、笑いたい人にも憐れみたい人にも応えない。女装、同性愛、性同一性障害、そういった言葉がもっともらしく投げかけられるのを他人事のように眺めながら、彼はこう言うのだ。
「ただおれは/おれのままで/スカート穿いて歩きたかっただけ」
作中のあるシーンでは、空から無数のスカートがひらひらと降ってくる。あっちのひとに、ひらり。こっちのひとに、ふわり。誰もがみんな、ひらひらふわふわのスカートをなびかせて歩く、そんなマンガの中の空想世界。
その端っこの方には、名もないモブキャラのオッサンが、スカートをひるがえして歩いていた。スカートひらめくメルヘンな世界で、真面目くさったメガネにバーコード頭で。
他のマンガならば、そんなオッサンが描かれていたら笑うだろう。だけれどこのマンガに限っては、彼は笑いからも憐れみからも自由に見えたのだ。なんだか胸が満たされて、私はふいに涙した。名前もセリフもないモブキャラのオッサンに、わけもわからないまま泣かされたマンガなんてはじめてだ。
あなたは、物語の中で彼に出会ったその時、何を思うだろうか?
読み終わった後、ちょっぴり世界が違って見える
なにもかもは、マンガの中の話だ。本を閉じていくら待っても、空からスカートは降ってきてくれないし、“スカートをはいた男”とされた者は変わらず写メられ晒されつづける。それでも、それでもだ。なんとなく、まるで雨上がりの朝みたいに、この作品を読んだ後には何もかもが一度洗い流されたように見えるのである。
作者である鳥野しのさんは、実際に街中で「スカートはいた男子高校生」を見かけてこの作品を描き上げたのだという。
『ボーイ☆スカート』は、スカートはいた男子高校生を、ドタバタギャグな笑いの対象としても、悲惨な差別に苦しむ憐れみの対象としても描いてはいない。ただ、雨みたいな作品である。こまやかにやさしく、でも、確実に何かを洗い流してくれるような。