現代社会を生き抜くリアル・ウーマンたちのどこよりもリアルな財布事情に迫る『女の給料明細』。
今回ご登場いただく女性は、都内の広告系会社で正社員として働くNさん(28)。都内で一人暮らしをしつつも、国内外問わず年2回は必ず旅行へ行くという彼女ですが、インタビューを申し込んだ際、「私は本当にだらしない人生なので、伝えられることなんて何もないと思いますよ。高校クビになったうえに、大学も2年で辞めちゃいましたし、借金も200万近くあったので……」とおっしゃいました。この時点で気になることだらけです。どのようにして現在の非ワープア生活に辿り着いたのか……。Nさんの給料明細を公開していただくとともに、その金銭感覚に迫ります!
――まず、高校時代のお話から。なぜ高校をクビ(退学)になったんですか?
N「都内にある中高一貫の女子校に通ってたんですけど、単純に学校に行ってなかったんです。学校を休んでファミレスでバイトしたり、家で寝てました。バイトが楽しかったとか稼ぎたかったわけではなく、学校に行くのが面倒くさくて。当時の私立って出席日数よりも、テストの年間合計点が重要だったんですね。まあその点数もわりと低いんですけど。塾とか行ってなかったですし、学校に行かないともちろんテストもできないわけで。そしたら、高2の1学期と2学期の通信簿で、数学だけ10段階評価で1を取っちゃって。その時点で『学年末テストの数学で、●点以上取らないとクビ』と決まったので、数学の先生が放課後に補講を開いてくれて、ギリギリ合格点を取ることができたんです」
――ギリギリでも取れてよかったじゃないですか!
N「……なんですけど、数学に集中してたら生物で単位落としちゃいました。『生物なんてマーク式だし』と舐めくさってたら3点足りなくて……」
――結局クビが確定したんですね。
N「その前にちょっとドラマチックなことがあって。テスト返却日に教室の前でぼーっとしてたら、10人くらいの友達が職員室に入って行くのが見えたんです。友達たちは私に内緒で動いてくれてたんですが、学校の構造上、私にも見えちゃって(笑)。これはドラマが待ってそうだし、私も行かなきゃ! と追いかけてみたら、みんなが泣きながら『Nの3点どうしてもダメですか?』って先生に頭下げてくれてたんです。うるっときますよね。でも生物の先生は『Nは、学校に来てなかったから授業もわからなくなって3点足りなかったんだよ。君たちが本当に友達なら学校に来させたほうがよかったんじゃないか』って」
――……何も言えないですね。
N「そうなんです。私も妙に納得しちゃって。しかも生物のテスト中、粘ってもわかんないしすぐに諦めて寝たんです。そしたら『ああいう態度もダメだ』って。私立の一貫校なんて、最後の1年だったらお情けで進級させてくれることもあるのでちょっと期待したんですけど、もう絶対ダメじゃないですか。その後『しょうがないよ』って私が友達をなだめてみんなで教室に帰りました」
――両親には何か言われましたか?
N「もちろん親は激怒してたと思います。何を言われたかは忘れちゃいましたが、確かずっと泣いてましたね。なので、先生に『留年するか、高校2年までの単位は取れたことにしてあげるから他校に行くか、どちらか選びなさい』って言われたんですけど、泣いてる親に『もう1年分学費払ってください』なんて言えなくて、都立に編入しました。編入試験の準備期間が全然なくてバタバタでしたね」
――スムーズに受かったんですか?
N「いや、落ちまくりました。『落ちまくった』というか、当時の都立編入試験日は3月の3日間に集中してたので、必然的に3校しか受けられなかったんです。試験内容は【国語、数学、英語、面接】。合格基準は平均点、合計点、面接重視とか学校によってバラバラでした」
――そういう情報はどこで仕入れたんですか?
N「親が調べてくれました。でも、案の定始めの2校は落ちて。半ば諦めながら最後の1校を受けてみたら合格したんです。これは私の予想ですけど、その学校は面接重視だったんだと思います。というのも、都立で初めて民間人を校長先生に据えた学校だったんです。なので泣き落としじゃないですけど、高校クビになって、編入も2校すべって……親に迷惑かけすぎて、私自身堪えてたんでしょうね。『なぜ前の学校を辞めたんですか?』って聞かれた時に、当時の心境を織り交ぜながら、すごい良い感じのことを言ったのを覚えてます(笑)。それで合格にしてくれたんだと思ってます」
――その学校は卒業しましたか?
N「1年で卒業できました。やっぱり都立のほうが出席日数は厳しいので、ギリギリでしたけどね」
――おめでとうございます! そして見事大学に入るものの、2年で辞めると。
N「とりあえず受かった、名前書けば誰でも受かるランクの大学に行ったんです。私、高1くらいから、なんとなく『美大に行きたいな』って思ってたんですね。なので、親に『美大専用の塾に行きたい』と言ったんですけど、すでにその時点であまり学校行ってなかったので『もっと先にやることあるだろ』って言われて。とはいえ、その気持ちも確固たる意思ではなかったので、『じゃあいっか』ってダラダラ過ごしてたら高校クビになって……。そんな中途半端な気持ちで入学しちゃったので、また学校行かなくなっちゃって。2年の前期は2単位、後期は0単位……また親を泣かしました」
――……学校へ行かずに何してたんですか?
N「事務のバイトが楽しくなっちゃったんです。当時、夕方から21時まで働いてから会社のみんなで朝まで六本木で飲んで、一旦帰宅。学校休んで昼過ぎくらいまで寝て、夕方からまたバイト……そんな生活をしてたら、時給900円の事務バイトで月15万くらい稼いでました。あと地元のスナックでも10万くらい稼いでいたので、その時が人生で一番お金を持ってた時ですね」
――18~19歳で月収25万円! 何に使ってたんですか?
N「わかんないんですよ。私、『朝まで六本木にいる』『スナックでバイトしてる』って言ってもお酒飲めないですし、昔から高価な服にも興味なし、お金をつぎ込むような趣味もないのに……。貯金もしてなかったので、細かい出費で消えてました」
――当時は一人暮らしですか?
N「いえ、都立に通い始めた高3から大1の前期までは、実家の近くにある祖母の家に住んでました。祖母はすごい優しくて、私が『夜遅く帰る』と言ってもご飯を作って待っててくれてたんです。でも、そのうち祖母も痺れを切らして、実家に帰されました。ちなみに、家にお金を入れたことは一度もないです」
――年金はご自分で払ってましたか?
N「年金は20歳から払い続けてます」
――では、ほとんど自由に使えるお金だったんですね。
N「そうなんですけど……この生活は大学を辞めた20歳の冬に終わりました」