起きたら、ない
『ある朝、不安な夢から目を覚ますと、グレーゴル・ザムザは、自分がベッドのなかで馬鹿でかい虫に変わっているのに気がついた』
いきなり、フランツ・カフカ『変身』(光文社古典新訳文庫)の、あまりにも有名な書き出しの一文を引用したのは、初夏のある朝、水槽の中で飼っていた大量の熱帯魚が、もれなく全匹腹を浮かばせて死んでいる不安な夢から目を覚ますと、ベッドに横たわる全裸の自分の下腹部より、毛という毛が消えていることに気づいたからである。
魚の夢と言えば、ユング心理学が解くところの太母元型、コンプレックス等の象徴であり、それがもれなく死んだとあれば、グレートマザーの呪縛に飼い殺されているのか、自分の母性が空回りしているのか、コンプレックスが自分の首を絞めているのか、あるいはコンプレックスが死んで生まれ変わったような境地で爽やかに生きていくことを予言されているのか。そのシーンの前後の脈略を参照したうえで夢の示唆するメッセージを解読してみようと考える余裕は、毛頭ない。
考えなければならないのは、毛頭すら伺い知れない「無毛」についてである。
記憶が、ない
私はお酒が大好きで、ほとんど毎晩、飲酒する。一年のうち、禁酒を余儀なくされるのは、半年に一度の胃カメラ検診の前日と、アルコールを摂取したら痛みが倍増すると容易に推測できる歯痛や怪我を負った時、それも通年で都合、五、六日程度であるため、だいたい毎晩飲んでいるといって差し支えない。
一度、お酒を飲み始めたら、ほどほどではやめられない。家で、一人で飲んでいても、外で、大勢で飲んでいても、限界が来るまで延々と飲み続けるため、ほとんど毎晩、就寝前の記憶がない。どうやって帰ってきたのか。ここはどこなのか。あなたは誰なのか。何で枕元にサッポロ一番塩ラーメンがあるのか。
朝、起きると同時に、朦朧とした頭に「?」の一文字を浮かばせながら、調子良く酔い出した時分より現在までの、すっぽりと抜け落ちた記憶を大捜索するのだが、私の知らない私が一体何をしでかしたのか、想像したところで見つかるわけもなく、「どこに行っちゃったんだろうな、記憶」と、ぶつぶつ独り言をいいながら、日が暮れると同時にビールを飲み出し、気づくと朝、またしても記憶がないという無限回廊のような日々が延々と繰り返されるのである。
このアルコール性健忘症、通称「ブラックアウト」は、何度も起こすと認知症のリスクが高まるそうだ。何度もどころか、毎晩がブラックアウトという我ながら酷い生活習慣を思うと、そろそろ改めようかとか、いや、もう遅いとか、いろいろ思うところはあるのだが、そんな考え事をする時、片手に握っているのは決まって焼酎のヘルシア緑茶割りなので、改善する気は全然ないようだ。
怪我だけがある
泥酔して人に迷惑をかけることもしょっちゅうあるので、その際は土下座したり、もうしませんと誓ったり、「おまえこの前ももうしませんって誓ってただろ、嘘つき!」と叱られて再び土下座したりと、大いに反省し、謝罪するより他に成す術がないのだが、禁酒しようとはまったく思わないあたりに、もう一段深い猛省の必要がありそうだ。
もう一点、反省したくらいではなかなか改善できないのが「怪我」である。体は限界なのに意識だけが覚醒している酩酊状態に陥ると、ものすごい頻度で、こける。朝、ベッドの中で、肝心の記憶はないくせに、青痣、赤痣、打撲、切り傷、擦り傷を発見し、頭の中が「?」でいっぱいになる。これは本当に危険だという自覚があるため、飲む前に、頼むから今日はこけないでくれと念じるものの、通じたためしが一度もないので、こけそうになった時に助けてくれるプライベートSPを雇いたいと、かなり本気で考えている。
このように「ブラックアウト」にかまけて、これ以上は書けない珍事を多数、長年に渡って引き起こしてきた結果、珍事に慣れ過ぎて、耐性がついて、「まあ、長い人生、そんなこともあるよね」と、反省もしないで鷹揚にかまえるという謎の境地へと到達するに至る。何があっても、だいたい大丈夫。朝、起きたら記憶がないという状況は、もはや当たり前すぎて、何とも思わない。しかし、起きたら、アンダーヘアがないという状況には、さすがの私も驚愕し、思わず、「どこ行った」と独り言をつぶやきながらシーツの上を真顔で捜索した。
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