現代女性を取り巻く“ピンク”という色について、欧米の女児カルチャーや女児向け玩具、国内の女児向けアニメなどを通して深く考察した一冊『女の子は本当にピンクが好きなのか』(Pヴァイン)。著者の堀越英美さんは日本で子育てをする二女の母だ。
今回messyでは、バービーやプリキュアなど同書でも取り上げられたカルチャーに詳しく、しかし堀越さんとはまた異なる見解を持つ柴田英里さんと、堀越さんの対談を企画。女の子として、女として、私たちはピンクとどう付き合い生きていくのか。全5回にわけて掲載します。
(聞き手:下戸山うさこ)
【1】「お母さん」よりも楽しそうな仕事に就きたかった/『女の子は本当にピンクが好きなのか』堀越英美×柴田英里
【2】殴れないプリキュア、女のケア役割。/『女の子は本当にピンクが好きなのか』堀越英美×柴田英里
【3】多様化していくバービーと、ピンクによる武装/『女の子は本当にピンクが好きなのか』堀越英美×柴田英里
【4】ダサピンクマーケットの根底にあるのは<良い女><悪い女>の分断ではないか/『女の子は本当にピンクが好きなのか』堀越英美×柴田英里
【5】王子様なんて要らない、ピンクの抑圧を受けない女の子たち。/『女の子は本当にピンクが好きなのか』堀越英美×柴田英里
<同書の書評はこちら>
ピンク解放運動を追う 「女らしさ」に閉じ込められたピンクの歴史
日本のアニメはディズニーに劣るか
下戸山 本日はよろしくお願いいたします。柴田さんは女児アニメに詳しくて、うちの娘(5歳)とプリキュアやプリパラの話をしてくれたり、messy飲み会では娘が持参したバービー人形で遊んでくれたりしましたよね。
柴田 子育ての責任を負う気はないですけど、子供と遊ぶのは好きなんですよ(笑)。
堀越 お二人とも女児アニメにお詳しいですよね。私はこんな本を出しておきながら申し訳ないんですけど、女児アニメシーンに詳しいわけではないんです……。プリキュアとかを娘と一緒に見てきましたけど、自分自身がそこに興味を持っているかというと……。いや、子供にとっては素晴らしいアニメだとは思うんですけど、「愛と友情が大切」みたいなストーリーには、のめりこめなくて(笑)。柴田さんはちゃんと作品を見てらっしゃるんですよね。柴田さんの連載を拝読していて、女児アニメに対して私とは全然違う視点を持つ女性がいらっしゃるんだな、と思って、前からちょっと気になっておりました。
柴田 ありがとうございます。本書で堀越さんが、『アナと雪の女王』について述べられていた意見には、私はおおむね同意です。ディズニーってかつては保守的な価値観の作品を制作していましたが、近年は社会的包摂の理念を持ち変革してきていますよね。たとえばエルサは明言こそしないけれども、マイノリティ属性を持っているっぽい主人公です。おそらくセクシャリティ面でもクィアっぽくもある存在。ともかくディズニーはそういう流れを作っていて、一方で、日本のアニメーション業界はどうかと考えたときに、プリキュアは『アナ雪』的な試みとしてスタートしたと私は認識しています。余談ですがもともと東映アニメーションは東洋のディズニーを目指していました。
堀越 プリキュアが『アナ雪』的な試み? どういうことですか??
柴田 保守的な中でもそれを乗り越えていこう、あるいは、その保守の定義自体を更新しようという試みだということです。
下戸山 最初のプリキュアは敵と殴り合いしていましたもんね、“女の子なのに”。
柴田 そう、『フレッシュプリキュア!』(09年)までは敵を派手にぶちのめしていたんですよ、改心すると見せかけた敵が大自爆したりなど、敵にも改心しない自由があった、“女の子向けなのに”。ですが後に、敵を倒す=浄化っていう形式に変化してしまって、それは私は残念に思っています。
堀越 なるほど。
下戸山 今回の対談では、そうした日本の女児向けアニメーションや海外の女児向け玩具に関することが一つと、あと、ダサピンクという問題、「女性はピンクが好きで、女ってこういうもんだよね」と決め付けられることについての話。この二本柱でお話ししていただきたいなと思います。
柴田 ちょっと最初に、プリキュアとか女児向けアニメの「男性ファン」という存在について話をしておきたいんですけど、いいですか。大きなお友達と呼ばれる男性ファンが、とても多いジャンルですよね。
堀越 はい、そうみたいですね。
柴田 男性ファンの見方としては、「プリキュアみたいに真っ直ぐな生き方をしたい」って憧れもありつつ、もちろんセクシャルな視点「かわいいロリを犯したい」もありますが、その2つだけでもないんですよ。漫画批評家の永山薫さんが著書『エロマンガ・スタディーズ -「快楽装置」としての漫画入門』(イーストプレス)でされた分析によれば、「女性がレイプされるエロマンガ」を読む男性エロマンガファンが、必ずしも「レイプする側」に自分を置いてそのマンガを楽しんでいるわけではないと。レイプされている女性側に自己投影しているケースがある。
堀越 そのお話、耳にしたことがあります。
柴田 マゾヒスティックな欲望をそこに見るわけですよね。ただ、現実社会においては「男性」って既得権益を持つ側だし、女性に比べてレイプされることが少ない安全圏の性だからこその欲望だ、っていうフェミニズム側からの批判も展開出来るんですけれど。でもきっとそれだけじゃない、多分、今の時代は生きづらさを抱える男性も絶対に少なくないので。
堀越 その「生きづらさ」を、プリキュア視聴によって少なからず解消しているということですか?
柴田 そういう見方もできるんじゃないかと。また、「成人男性が女児アニメファンであること」は気持ち悪がられるけれど、それのどこが悪いのかと個人的には思っています。
下戸山 大人は大人向けのものを楽しまなきゃいけない、なんて決まりはないから?
柴田 そうです。そして、日本のアニメを、アニメオタクじゃない人たちが“ディズニーと比較して”語ろうとするときに、日本で大量に放送されているアニメはほとんどが成人男性向けの萌えとかエロとかで駄作ばかり、ディズニーはポリティカル・コレクトネス(PC)がちゃんとしている、という対比をされることに違和感を覚えています。
そもそも、セクシャリティって、いわゆるヘテロ、ノーマルと呼ばれる男と女の1対1の恋愛やセックスだって、絶対に「正しい」ものなんかじゃない。恋愛って相手を傷つけるものだと私は考えているので。誰かを「好き」っていうのは、他の人を選ばないことになる排他的な面を持つじゃないですか。変態的だとカテゴライズされる欲望でなくても、人は人を傷つけるものだと思うんですよ。