緊縛。この文字面を見るだけで、私は心のエロススイッチが入ります。自分が「縛りたい」側ではなく、100パーセント「縛られたい」側であるためか、これまで「男性が縛られる」という発想がまるでありませんでした。不思議です。縛る側のイメージは男女両方があるのです。でも、その手によって縛られているのは、いつも女性。
だからこそ、Facebookで流れてきた1枚の写真にドキリとしました。ガテンな男性が工事現場を思わせる殺風景な空間で、縄をかけられていました。湿ったTシャツ、頭に巻いたタオルからは汗のにおいや埃っぽさが漂い、一日を肉体労働に費やしたその筋肉は火照っていそう……。
これは、緊縛師・荊子(いばらこ)さんの作品です。彼女は数年来、親しくおつき合いしていて、ショーも観たことがあります。ただ縛りのテクニックや美しさを見せるにとどまらず、女性と女性とが、ときに互いを挑発し、ときにねっとりと視線をからませ合う……縛り、縛られることで刻々と変わる両者の関係性は、レズビアン的という表現に収まりきるものではありません。ともに絶えず動いているため、やがて紅潮し、うっすら汗が浮かぶ肌という、女性の肉体ならではのエロスを堪能できます。
荊子さんの緊縛をスチールに収めた写真作品もすばらしい! その多くは女性をモデルとした作品で、キュートなものもあれば力強いものもあり、縄があることでエモーショナルになる女性の表情や肉体のいくつかは、当コラムの後半で紹介いたしましょう。私はいつもFacebookのタイムラインに彼女の作品が流れてくるのを楽しみにしているのですが、そんななか、件のガテン男性緊縛写真に出くわしたわけです。
私の頭には、どうにも「受け入れる性=女性、攻める性=男性」がこびりついているようです。身体の構造的にそうなることこはまぎれもない事実ですが、セックスは挿入し/挿入されるだけに限定されずさまざまな行為を含みます。そのなかで、自分から積極的に男性に仕掛ける女性が多いことも知っています。
女性同士、男性同士の行為もあるので、セックスにおける役割分担がこんなにガチガチなものではないと十分承知している……つもりだったのかもしれません。こうした「思ってもみないモノ」に出くわすと、自分の奥の奥のほうにあるセックス観がポロッと出てしまうのですね。
なぜ男性を縛るのか?
そんな私のなかにある固定観念を揺さぶった作品について、荊子さんを直撃してきました。
ーー荊子さん。どうして男性を縛ろうと思ったの?
荊子「このガテン男子は2カ月ほど前に撮り下ろした作品。私はずっと男性を縛って作品にしたいと思っていて、実際に挑戦してきているんだけど、これが想像以上にむずかしかった! どうしてもM男っぽくなってしまって……。緊縛=SMではないし、女王様とM男奴隷という関係ではなく、ふつうの男性が女性に攻められるときに見せるエロスをそこで表現したいので、M男にはしたくないんです。私はもともと、男性が感じている姿が大好き。かっこいい男の子が喘いでいる姿とか。縛ることで、そんなときに見せる表情を引き出したくて、長いあいだ試行錯誤してきました」
ーー隙みたいなのが出てきて、弱さや脆さみたいなものが見えるけど、それは決して情けないものではない、って感じ?
荊子「うん、切ない表情とか、いいよね。日本ではあまり見ないけど、ハリウッド映画では女性がバーンッと男性を押し倒すシーンがよくあるよね。そういうのを洗練した形で表現したくていろいろ試してきたんだけど、M男っぽくなってしまう壁は案外、厚かった……。最近、これはモデルによるところが大きいと気づきました。ふだんから裸の表現をしているAV男優さんにお願いした時期もあったんだけど、今回はフツウの男の子にお願いして撮らせてもらいました。写真の彼は、アルバイトで肉体労働をしている男性。そのバックグラウンドを活かした作品にしようと思いました」