筋肉、お好きですか?
筋肉フェチの女性が最高の笑顔になれる“筋肉メンズアイドル”をご存知でしょうか? その名も「マッチョ29(トゥエンティーナイン)」(29人いるわけではありません、筋ニクの29でもありません)。ローカル局のテレビ番組やイベント出演など、来る依頼をパンパン打ち返す地道な活動を続けてきた彼ら、はっきり言ってブレイク間近です。というわけでこのたび、東京は中野で毎月開催されている「マッチョカフェ」(@nakanoF)にお邪魔。10月末のハロウィン目前だったこともあり、1時間交代制で入れ替わり立ち替わり、コスプレ姿で遊びに来たファンの方々を、「いらっしゃいマッチョ~!!」と迎え入れ、店員として動き回る「マッチョ29」の皆さん、エネルギーがすごいです!
彼らをプロデュースする仕掛け人は、非マッチョの男性、鈴木秀尚(すずきひでたか)さん。2013年に学生時代の同級生と「分野を問わず、世の中の話題になるコンテンツ企画を行う」べく株式会社ハイを設立、2014年12月には『日本お姫様だっこ協会』を発足し、マッチョ29を企画しました。なぜ筋肉にこだわった男性アイドル集団を売り出すことに?
「好きなことをやっているけど、貧乏」はナンセンス
――現在13名のマッチョが在籍している「マッチョ29」の仕掛け人でいらっしゃる鈴木さんですが、ご自身も高校卒業とともに渡米してプロレス団体で活動されていたマッチョ時代があったそうですね。日本のプロレス団体ではなく、渡米を選んだのはなぜでしょうか。
鈴木 年収です。日本の場合だと、年収のトップが限られてしまっているんですが、世界一の団体はアメリカ。だから渡米した、という単純な考えです。どうせなら年収高い方を目指したいじゃないですか。語学も現地に行ってから学びました。
――行くまでの行動力も驚きですが、では何のツテもなくアメリカへ? プロレス団体には誰でも入団できるものなんですか?
鈴木 アメリカで借りていた家の近くに、たまたまプロレス団体のジムがあって、門を叩いて仲間に入れてもらいました。そのうち仲間が車で送り迎えしてくれるようになって……って、何だかすんなりいきましたね。それから2年半から3年くらいプロレス団体で活動していましたが、当時契約していた会社とビザ申請の支払い関係で揉めて帰国することに。プロレスをするならアメリカで続けていきたかったので、「そういう運命だったんだろうな」と割り切って、プロレスは帰国と同時に辞めました。
――アメリカのプロレス団体で活動していた、という経歴は、日本のプロレス界に入るとしてもハクがつくし話題性がありそうですが。
鈴木 それは、僕にとってはまったくのナンセンスです。日本のレスラーは海外のトップ団体と比べ、天と地ほどマックスの年収が低い。好きなことをやるからといって貧乏になるのは、僕の中にはない考えなので……。例えば「好きなことを追っかけられるなら、金なんか必要ない」という考えの方もいるかもしれないですが、僕は「自分がデカくなってから、好きなことやればいいじゃん!」って思うんです。地位・名誉・名声がある人の意見がその業界のルールになるわけじゃないですか。だから自分がそこまで行くのが一番手っ取り早い、という考えです。
――下積み・修行期間は貧乏で当たり前、という価値観が日本社会には浸透しまくっていますよね。鈴木さんはレスラーを辞めて起業されていますが、起業ひとつとっても、行動に起こすまでの勇気や自信、あと現実的にお金の工面だったり人脈作りなどを自分には到底できない大変なことだと捉えて尻込みしちゃう方も多いのかもしれません。
鈴木 深く考えてしまうから、悩みはじめちゃうんじゃないですかね。もちろん、アメリカのプロレス団体にしても、門を叩いてからすんなり進んだのも、本当にありがたかったし、運が良かったとも思っていますが、僕は多分、そこまで深く考えていなくて。例えば、アーティストになりたいとしたら……毎日レコード会社に土下座しに行って、レコード会社内でフリーCDを置かせてもらえるようにお願いしたら、1回は制作に携わる方が聞いてくれるかもしれない、と考えます。そうやって1番手っ取り早い方法を考えます。
――失礼ですが、もともと親が会社経営者だったりとかでもなく、高校卒業してすぐの渡米や帰国後の起業まで全て自分だけの判断で行動されていたんですか?
鈴木 そうです、「えいっ!」と。やろう! と決めて固めて、自分を逃げられない状況にします。
――「逃げられない状況」とは?
鈴木 恋愛にたとえると……好きな人が出来て「好きな人は〇〇(名前)っていうんだ」。って周りにめっちゃ言ったら、告白せざるを得ないじゃないですか。それと同じく早い段階で周りに宣言しておいて、自分を追い詰めるっていう感じですね。
――会社は、元同級生とお2人で立ち上げたと伺いました。
鈴木 中・高と一緒の同級生ですね。僕は、ずっと男だらけの世界にいて、“プロレスラー”という演者側だったので、演者を支える人達ってどういう人たちなんだろうって興味があった時期に、そいつは当時、広告代理店で勤務していたんですが、自分で何かやりたいと考えていたみたいで。たまたま渋谷のラブホ街でバッタリ会って(笑)。久しぶりに会って、その時にそんな会話をして、「じゃ、一緒にやろうよ」ってトントン拍子に進みました。