劇場へ足を運んだ観客と出演者だけが共有することができる、その場限りのエンターテインメント、舞台。まったく同じものは二度とはないからこそ、時に舞台では、ドラマや映画などの映像では踏み込めない大胆できわどい表現が可能です。
過激な性描写や社会風刺など舞台でしかできない表現のひとつには、伝統芸能も含まれます。格式が高く教養的と思われがちな歌舞伎も、源流をたどればエロティックさや下世話さを売りにしてきたエンターテインメント。誕生から長い歴史を経て洗練されたからこそ、俳優自身や役が内包する艶めかしさの魅せ方も磨かれてきています。
その歌舞伎界は今、大名跡の襲名が相次ぐ世代交代のタイミングの真っ最中。次代を担う若手である“花形”は層が厚く、男性としてそして役者として、魅力を開花させようとしています。2月25日まで大阪で行われていた「二月花形歌舞伎」の「義経千本桜 渡海屋・大物浦(よしつねせんぼんざくら とかいや・だいもつのうら)」は、大役・新中納言知盛に挑んだ花形世代のリーダーともいえる尾上松也(おのえ まつや)を中心に、それが確信できるものでした。
「義経千本桜」は、竹田出雲、並木千柳、三好松洛の合作による歌舞伎を代表する演目で「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)」「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」と並んで三大義太夫狂言と呼ばれ……と記すといかにも堅苦しいのですが、義太夫狂言とは“義太夫節”という物語の説明やセリフの語りと生演奏付きの、ミュージカルのような演目のこと。
舞台経験で培った実力と色気
長い原作のうちの二段目にあたるのが「渡海屋」「大物浦」で、「平家物語」では壇ノ浦の合戦で死んだはずの平知盛や安徳天皇が実は生き延びており、源義経への復讐と平家再興を狙うという“もしもストーリー”で、言葉遣いだけクリアできれば漫画やライトノベルなどと変わらず気軽に楽しめます。花形歌舞伎は“若手に初めての大きな役を担わせ経験を積ませる場”という前提から、このような有名作が選ばれます。
松也が演じる知盛は前半、摂津国の船問屋「渡海屋」の主人、銀平として登場。アイヌの伝統的な模様の厚司(あつし)という衣装と番傘、高下駄姿は、体が大きく顔は小さくみえ、現代的な男らしさに思わず「キュン」。歌舞伎のこしらえはイイ男に見えるように体形の補正の仕方や衣装の組み合わせが研究しつくされているため、初めて見る人でも「あれが主人公だ」と納得できるだけの色気がムンムンです。
近年の松也は、今年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」に代表されるドラマやバラエティ番組など映像ジャンルでも活躍していますが、一般的な認知はいまだに元アイドルの元彼、が大きいかもしれません。
ただ舞台の世界で松也の存在を一躍知らしめたのは、2012年の蜷川幸雄演出作「ボクの四谷怪談」。作品自体の評価は低かったのですが、そのなかで唯一絶賛されたのが松也の演じるお岩で、その後の「ロミオ&ジュリエット」(2013年)、「エリザベート」(2015年)などの大作ミュージカルへの出演ではミュージカル俳優をしのぐ歌のうまさで注目を集めました。自主公演でもチケット入手が困難なほど集客できる、マルチな舞台役者としての面を持ち合わせています。その自信からか、歌舞伎での松也は、いつ観てもどんな役でも期待に応えてくれる、最高に「イイ男」です。
知盛の最大の見せ場は終盤、「碇(いかり)知盛」と呼ばれる自死の場面。血まみれの白糸威(しらいとおどし)の鎧にザンバラ髪、悪霊のような隈(くま)の姿で恨みや怒り、絶望を語る知盛が、安徳帝から赦しを説かれ憎しみは捨てても、死んでいった一門に申し訳が立たないと巨大な碇を体に巻き付け海に投げ入れ、引きずり込まれて命を絶ちます。ゆっくりと碇綱が沈んでいき、後ろ向きで大岩の上からまっすぐ落ちる姿は、いかにも歌舞伎! という様式美と勇壮な男の艶にあふれたカッコよさです。
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