聖なるクリスマス・イブ。
本来はキリスト教徒がジーザスの生誕を祝う日のはずなのに、無宗教の男女がチキンとケーキを買い性なる夜を過ごすもの、というおかしな認識がまかり通って久しい日本。
おかしいのはわかっていても、クリスマスに独りぼっちで過ごすのは、なんだか寂しい……。
はい、わたしもそのうちのひとりです。
そんな混沌のクリスマスまであと1カ月を切った今、彼氏・彼女作りに焦って出会いの場を亡霊のようにさまよってしまうそこのあなた。
今回は、そんなあなたもわたしもうっかりヘンな男を引かないよう、共に予防策を考えましょう!
わたしの盟友・野ざらしマリーが酒場で出会ったとあるおじさまの話をしてきました。
狭い居酒屋で、男5人に対し女は野ざらし1人。
会話に入ろうとするも、うなずくよりはツッコミ気質の野ざらしは「揚げ足とり女」とみなされ、「お前は黙っとけよ!」と怒鳴られたそうです。それも2回も。
でも、野ざらしはホステスじゃねぇし! ホステスさせたいなら金払え!
そんな20世紀負の遺産のおじさまが、女性である野ざらしと同席していながら平気で述べた名セリフが、声に出して読みたいくらい酷い日本語なので、ぜひ皆さんにも分かち合ってほしいです。せーの、
「無茶できるブスがほしい!
だって美人は金かかるし、無理なお願いしづらいじゃん。
アナル責めとかアナル舐めさせられる無茶のできるブス、サイコー!」
どうです、この酷さ。書いただけでPC画面が腐りそう!
おじさまはついでに、無茶できるブスを簡単に落とすには、ブスのアパートにいきなり押しかけ「急に会いたくなっちゃった」などと甘えたり、時々やさしい言葉をかけて情にほださせる、といった「無茶ブス使いテク」を自マン話としてとうとうと語ったそうです。
これを聞いたわたし、怒るに怒れませんでした。
むしろ愕然としました。
そう、わたしもこの無茶ブス使いテク、過去にやられていたのです!
それはわたしが「愛され本」を読み漁っていた愛さレース黒歴史時代。
どの本にも「モテるには男の言うことには黙って従い、無償の愛を注げ」という、まるでおしんのような話が書いてありました。
そしてこの国の男たちは、そういうおしん女をとても大事にするのだと。
まじめなわたしは実践しました。
男の要望はどんなものでも受け入れました。
それがSMプレイにエスカレートしていこうとも、男に喜ばれることこそ「愛され」だと信じて。
わたしは痔持ちですが、アナルプレイをしたがる男のために、痔の悪化や痛みを覚悟でアナP処女を捧げることもケツ意しかけました……。
過ぎ去ってみると、あれこそまさに「嫁・彼女にはできない無茶ができるブス」扱いだったのです。
その証拠に、あるきっかけであっさり捨てられましたし、大事にされたと思えていたのも、「好き」という言葉をたまにかけてもらっていただけ。
実際に「愛され」たかといえば……思いだせません。
彼が何かを行動で示してくれたことがあまりなかったからです。
むしろわたしが彼の近所まで通い、わたしがお金を払い、わたしが何かすることの方が多かった。
言葉はタダ。いくらでもウソを語れます。
大事なのは言葉ではなく、行動です。
今となってはアナP処女を捧げずに済んだだけ幸いでしたが、それにしても過去を回想するにつけ、「愛され」は、気をつけないとただ「無茶ができるブス要員」を量産させる悪慣習では? と思えてゾッとします。
実は本当の「愛され」とは、それを逆手にとった婚活殺人事件の木嶋佳苗レベルの人しか扱えない高度なテクニックではないでしょうか?
わたしは「愛され」の話となると、つい憎々しさがにじみでてしまいますが、「愛され」を堂々と、ポリシー持ってやっている人は、好きなんですよ。
男の手の上に乗っているようで、実は男を転がしているなんてかっこいいじゃないですか。
「愛され」が目指すべきはそこのはず。
しかしわたしのようなまじめが取り柄の凡人がおしんのように耐え忍んで大根飯食っても、「無茶できるブス」ターゲットにされるだけ。
ですから、「愛され」で辛くなってしまうわたしのような人たちは、むしろ自分の身を守る術を学ぶべきではないでしょうか。
(次ページへ続く)
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