世の中にはアダルトグッズ含むオトナな業界の人が顔を合わせる集まりがたびたびあり、そんな場で人から人を紹介される機会もあります。ただ「ライターの桃子さんです」と紹介されると、なんだかとっても違和感が。ここ数年いろんなところにこうしてコラムを書かせていただいているのはありがたいのですが、ライター=書く人と名乗るのはおこがましい気がしています。私はあくまでバイブコレクター。その一環として書くチャンスをいただいている、という感覚です。
とはいえ、ライターというのは資格のいらない職業なので、したためた文章がメディアに掲載され、それによって報酬を得ている人=ライターなのであれば、たしかに私も該当します。ただ紙媒体が中心だったひと昔前と違って(私がバイブコレクターとしてメディアで書き始めた7年ほど前は、紙媒体からの依頼もよくあったのです)、web媒体が主流となったいま、書く人の数だけ見ればこれまでにないほど多いことは私のような者の目にも明らかです。
セックス、アダルト、エロ……ひっくるめて“性”について書く人も多いですよね。コラムだけでなく情報として発信される記事も、毎日のように見かけます。ここmessyのような、女性に向けてダイレクトにセクシャルな内容のコンテンツを配信するweb媒体が登場したから、といった背景があると思うのですが、女性が性の情報を手に入れやすい状況自体は歓迎すべきことです。
けれど同時に、性について信頼性の低い記事が横行しているとも感じます。昨年から今年にかけて、医療キュレーションサイトWELQ問題が注目を集めましたが、似たようなことが起きているのではないか。たとえば「みんな知らないけど、こんなところにも性感帯が!」(神経の通っていないところを性感帯とする記事も多々あり)とか、「キスだけ、乳首だけでイケるテクニック!」(そういう人がいないとはいいませんが、あまりにも“特殊”です)とか。
トンデモ記事がセックスの質を下げる
でも、性についての記事はほとんど問題にならないんですよね。WELQは命に関わる病気についても根拠に欠ける記事を垂れ流しにしていたから、社会が見逃しませんでした。それと比べて性はもともと「真面目に考える」「セクシャルヘルスについて正しい知識を身につける」「それが自分たちのQOLに関わる」という意識が、発信する側にも受け取る側にも欠けているようです。ゆえに、根拠ゼロのトンデモな記事があっても「ふーん」「こんな人もいるんだぁ」ぐらいでスルーされているように見えます。
ほんとうに自分たちに影響はないのでしょうか? 上記の例でいうと、こうした記事を読んだパートナーに性感帯のないところを執拗にさわられ、あるいは乳首はもういいつってんのに「イカせるまでがんばる!」と張り切られる……しょうがないからイクふりでもするか、という展開が予想されます。ズバッと「気持ちよくない」と伝えればいいと思われるかもしれませんが、そうしたコミュニケーション自体が負担になることってありますよね。根拠のない記事を書いた人は何も背負わず、読者のパートナーという無関係な人がその負担を押し付けられる……なかなかに理不尽です。その段階でQOS(クオリティ・オブ・セックス)が著しく下がっています。
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