悠子さんはフリーランスの翻訳者兼通訳で、57歳・バツイチ。娘ふたりは31歳と26歳ですでに独立し、悠子さんは神戸で両親と同居している。
神戸に生まれ育ち奥手で夢見る文学少女だった悠子さんは、国立大学に進学。地味で真面目な生徒が大半の中、ハーフ風のルックスとチャラっと派手なオーラで異彩を放つ同級生男子に恋をした。何度かデートするまでこぎつけるものの、2~3カ月経つとふらりどこか他の女のもとへいってしまうような自由奔放な彼に翻弄される日々が続いていく。
だが彼は突如大学を中退、ミュージシャンになるといって東京へ行ってしまう。大学を卒業した悠子さんが彼のことは忘れて新しい人生を生きようと決意したとき……送られてきたSOS。「寂しい」――彼のそのひとことに悠子さんは「私がなんとかしないと、この人だめになっちゃう」といてもたってもいられなくなり、すぐに東京へと向かった。彼と再会後すぐに妊娠してしまい、自分の意思とは関係なくそのまま東京で暮らすことに……。
25歳でできちゃった結婚、26歳で出産。30歳で下の子を妊娠したことをきっかけに別居するものの、正式な離婚の成立はその10年後だった。10年の月日を要したのは、手続きのために元夫と顔を合わせ関わることがとにかくイヤだったからだという。
破天荒さで人を惹きつける元夫。一番身近にいた妻は疲れ果てて…
――元夫さんはずいぶんとユニークな人のように思えますが……。
「とにかくはちゃめちゃな人です。ミュージシャンになると言って東京に出たはずなのに、顔が男前だから役者が向いていると人から言われれば、またその気になり。詩人になるって詩を書いていたこともあったかな……」
――結局、何者かになったんでしょうか。
「いいえ。飽き性なんで無理なんですよ。結局ミュージシャンにも役者にもなれずで」
――できちゃった結婚ですが、子供が産まれてから彼は真面目に働いてくれたんでしょうか。
「一緒に住んでいる間は、まったくでしたね。私が働き、うちの親に援助もお願いして。それでなんとか食べていくって感じでした」
――その状況でふたりめを作ろうと決意されたのはどうして?
「私、子供は最初からふたり作ろうと決めていたんです。父親(元夫)があまりにもアテにならない人なので、ひとりっこだと可哀想だなと思ったんです。なにかあったときに手を取りあって助け合っていけるように、兄妹がいたほうがいいと考えました。そう考えてはいたけれど、実際にふたりめの妊娠がわかったときには、あ、これはダメだなと」
――ダメというのは具体的に言うと?
「我に返ったんです。元夫にはなんの期待もできない、ということにようやく気がついた。5歳の上の子がいて、私は働き通しで。これで下の子が産まれたら私パンクしちゃうと思ったんです。で、とにかく彼から離れて実家のある神戸に帰ろうと。我に返ってからは早かったですよ。上の子を連れて着の身着のまま状態で東京を出ました」
――子供が産まれても、悠子さんが働き通しでも、元夫さんは「よし、じゃあ俺も!」と奮起することはなかったんですね。
「元夫のお母さんは自分でお店を経営する働き者で。とにかく稼いで派手にお金も使う人だったんです。そのお母さんにお金と愛情をたっぷりとかけて育てられたせいか、女の人が稼いで食べさせてもらうことになんの抵抗もない人で」
――元夫さん、いま57歳ですよね。『女に食わせてもらうなんて男の沽券に関わる!』と言ってもおかしくない世代だと思いますが。
「そんな意識はまったくない! 幼い頃から、会う人会う人に『かっこいい、ハンサムだ』と言われ続け、芸能事務所からスカウトされたこともあった。とにかく自分が輝いていたい、目立っていたい。特別な存在だと思いこんでいる人ですから。だから、女の人が尽くして働いて食べさせてくれて当たり前なの」
――地元に戻ってきてからの生活は順調だったんでしょうか?
「31歳で下の子を出産して、その半年後には知人に事務職を紹介してもらい、就職することができました。でもその会社、私が35歳の時に倒産しちゃって」
――なんて波乱万丈! 一気に生活の危機に陥ってしまった?
「それが、ちょうどその頃は元夫が起こした会社が順調で。まとまったお金を送ってくるようになったんですね。それで私も生活に少し余裕ができたので、一念発起して、もともと得意だった英語をいかして、翻訳業として食べていけるように勉強したり、人脈を作ったりすることに集中するようになりました」
――元夫さんはいまでも東京住まいなんですか?
「いいえ。一時は自分で起業して羽振りがよかったんだけど、結局は経営を継続しきれずにつぶしちゃって。ある日突然、関西に帰ってきました。そのときは連絡がきたかな、『昔、悠子からもらったネクタイを絞めて、そっちに帰るから』って」
――わっ、なんかものすごくナルシスト臭が……。
「そう究極のナルシストなの! だから自分以外は愛せない。自分は特別で、尽くしてもらって当たり前。私が尽くしているうちは、私の傍にいるけども、私が尽くさないとわかると次のターゲットを探しにいく。きっと一生そうして生きていくんじゃないかな」
――でも、お金があるときはちゃんとまとまった額を送ってはくるんですよね。
「それも自分のためだと思います、結局。元夫は人にプレゼントするのが大好きで。私も離婚してるのに突然『これ、きっと悠子に似合うと思って』ってフェンディのバッグを贈られましたよ。こっちは子供抱えて必死なわけですから、フェンディなんていらないの。それなら現金でちょうだいって感じだった」
――あ~、なんとなくわかります。つまり、自分が気持ちよくなるために贈ってると。
「そうそう、こんなことサラっとしちゃう素敵な俺、みたいな感じなんですよ。そういうことはできるけど、きちんきちんと養育費を送るなんてことは絶対にできない。もっと強い女の人だったら、ガンガンお小言を言って彼を教育して大人にさせたのかもしれないけれど、私も若くて。子供のこと、日々のことだけで精いっぱいだったから」
――はたから聞くと、ちょっと魅力的な男性な気もするんですが……。
「そうなの! 男女問わず、誰もが彼をひと目見たら好きになる。惹かれてしまうの。うちの母もいまだに『○○さん(元夫の名)、最近どうしてるの?』って訊くぐらいですから」
――お嬢さん方は、お父さんとは会っていらっしゃいますか。
「会ってますね。向こうのお父さんとお母さんは私や子供たちにとてもよくしてくださったので、別居・離婚してからも孫の顔は見せてあげないとなと思って、子供を連れて定期的に彼の実家がある大阪まで会いに行っていたんです。やがて元夫も実家に戻ったので、私は顔を会わせないように子供だけで行かせるようになりましたけど」
――お嬢さん方、お父様のことをどんなふうに思われているんでしょうね。
「お母さんが好きになっちゃった気持ちはわかる。でもああいうタイプと結婚は絶対ないわ、って(笑)」
――しっかりしてる(笑)。悠子さんは、元夫さんに子供を会わせたくないとは考えなかったんですね。
「考えましたよ。関西に戻ってきてからもなんか怪しい水を販売したりと、いつもうさんくさいビジネスやってる人だし。子供に迷惑をかけることもあるかもしれないって危惧があったので、ホントは会わせたくはなかったけど……。でも会わさずに秘密にすると、どうしても知りたいという気持ちが強くなっちゃうでしょ、子供は。父親に変な幻想を抱かれても困るし。それなら会わせて、リアルな姿をとことん見せた方がいいと思ったんです」
――悠子さんはこちらに戻ってからはお会いになりました?
「私ね、元夫が関西に戻ってくることを知ってから鬱になっちゃって。それほど、もう絶対に関わりたくない人なんです。どうしても仕方ない用があり、1度だけ会いましたけど」
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