筆者は30代後半です。もうすでに若かった頃のリアルな記憶は薄れています。薄れるだけならまだしも、最近10代・20代の頃の記憶を美化してしまい、「若い頃はよかったなぁ~。あの頃はまだ体力もあったし……。」などと思う傾向にありました。
けれど、それは違う!
若かった頃は、不自由だった。いろいろと、キツかった。そして何よりも、若い頃の自分は、痛々しかった……。ということを思い出させてくれた映画が、『SRサイタマノラッパー』(2009年)です。
北関東の風景
ストーリーは北関東にある「サイタマ県の福谷市」が舞台。筆者も昔、北関東に住んでいたことがあるので、映画オープニングで映し出される国道沿いの風景には、見覚えがありました。車から見る風景は、行けども行けどもラブホテル、チェーンのレストラン、パチンコ店の短調な繰り返し。「ちょっとコーヒーでも飲んでから帰ろうかな」と思ったとしても、レコード店や本屋、カフェなどの施設は一切ないので、そんな行為は不可能な土地。それが、『SRサイタマノラッパー』で描かれるサイタマ県の風景です。
「徒歩で歩く」シーンに込められた絶望
そんな福谷市で、ヒップホップグループSHO-GUNGとしてライブ開催を夢見るイック(駒木根隆介)、トム(水澤紳吾)、マイティ(奥野瑛太)の3人(全員日本人です、念のため)。マイティの本業は実家のブロッコリー農家手伝い。トムはおっぱいパブのバイト店員。そしてイックは完全なるニートです。
「形からラッパーになりました」感丸出しのにわかヒップホップファッションに身を包んだ、この映画のヒーロー・イックに、最初、私は反感しか感じませんでした。
けれど、見渡す限り畑・鉄塔・駐車場・建て売り住宅しかない風景の中、徒歩でとことこ外出するイックの姿を見て、元・北関東の住民としては、涙が出そうになりました。なぜなら、あの地域において「徒歩で歩く」ということが、どれほど絶望的な行為であるか知っているからです。北関東は車なしでは壊滅的なほど、生活ができないのです。
映画だからこそ、歩いているシーンから数秒でコンビニのシーンに変わりますが、私が以前住んでいた北関東の町では、自宅から最寄りのコンビニまで車で20分かかりました。徒歩じゃありませんよ、車でですよ。徒歩なら小一時間かかるでしょうか……? 遠かったです。けれど、他に行くところもないから、コンビニに行くのです。
福谷市では車がないと、就ける仕事も限られるし、社会生活は、ほぼ送れません。けれどニートのイックは車を持てない。福谷市においては、それはすなわち、永遠に続く文化の不毛地帯に閉じ込められている、ということと同義なのです。
不憫でならない
福谷市民の集いにて、「腐った大人たち」の前でラップを披露することになり、恥ずかしそうに下を向いてラップをするイックとトム。アメリカのヒップホップスターである2パックの写真を掲げる、マイティ。「仕事は?」と聞かれ、「レコード店でバイトしようかなと思ってます」と希望を語っても、「でもこの辺にはレコード屋はないですよ」と笑われてしまうイック。
このシーンは「うわあ、可哀相!」と、叫び出しそうになりました。
インターネットが発達した現代では考えられないとは思いますが、私が北関東に住んでいた頃、音楽雑誌が読みたければ、往復一時間ほどかけて、隣町まで買いに行くしかありませんでした。辛かったです。私は本屋もCDショップもない、建て売り住宅と畑しかない地元を、激しく呪ったものです。読みたい本や聞きたい音楽が身の回りにないということは、本当に辛いことなのです。
昔の自分を見ているようで、だんだんイックが不憫でならない……という気持ちで一杯になりました。
友達との別れ
同時に『SRサイタマノラッパー』は、成長するに従って友達が離れていってしまう痛みの描き方においても、秀逸な映画だと思います。
マイティは最終的に強い先輩たちに付いて行き、イックとトムを裏切ります。その際トムに「なんで?」と聞かれ、「え、なんで、って……。サーセン……」と逃げていく奥野瑛太さんの演技が素晴らしいと思いました。こういう人、ほんとにいるいる! っていう……。
成長して、友達が離れていくのは多分、どうにもできないことです。けれど、イックは納得できません。そしてラップの夢を諦めたトムに向かって、渾身のラップをぶつけるのです。
その姿を見て、私は成長する過程で離れてしまった友人たちの顔を久方ぶりに思い出し、少し、切なくなりました。言葉って、伝えたい人に限って、伝えるのが難しいものです。イックのラップにのせた魂の言葉たちは、果たして、トムに伝わったのでしょうか? その辺は、観客には明らかにならないまま、映画は終わります。
けれど、トムに言葉が届いたかどうかは、この際、関係ありません。諦めずに勇気を出して友達に向かってラップする、そのひたむきな行為こそが、イックをこの映画のヒーローとして輝かせているのですから。超人的な能力を持っていなくても、社会にとって有益なことができなくても、現状を乗り越えようとする姿こそが、イックがヒーローたる所以なのです。
『SRサイタマノラッパー』は、何者にもなれず、どこへも行けず、何事も達成できない若者の日々をそのままに描き、そんな彼らの中にある哀しさ、勇気、そしてまばゆいヒーロー性に気づかせてくれる映画です。
■歯グキ露出狂/ テレビを持っていた頃も、観るのは朝の天気予報くらい、ということから推察されるように、あまりテレビとは良好な関係を築けていなかったが、地デジ化以降、それすらも放棄。テレビを所有しないまま、2年が過ぎた。2013年8月、仕事の為ようやくテレビを導入した。
連載【月9と眼鏡とリモコンと】