「私達はまだ生まれたての気持ちで 世の中のことなど何も知らないままでいいの この世は単純じゃないけど ふたりなら全て乗り越えられる」
学習意欲はまるでないのに、妙に自信満々で自己肯定的である。
「地平線のその先にあなたがいた 黄金の大海原目の前に…」
「愛に憧れていた私 ずっと逃げていた私 さよなら空想が好きだった私… あなたが目の前で私に愛を伝えているから」
どうやら、“あなた”とは、“わたし”にとってとても大きな存在であるらしい。依存、もしくは共依存の雰囲気を濃厚に感じるのは私だけであろうか。
「ふたりの距離? 距離なんてない ふたりはひとつの存在になってしまったから 魂のもうひとつのかけらに 出会うために人は生まれてくるという もし本当であればそれが今」
来たね、来たね、スピリチュアルが来たね。物理の法則超えちゃったね。って感じである。
「女の子は叶わないことが多くて 周りに漂っている空気を感じながら 時には自分の体を気遣いながら いつも、注意深く暮らしている 本当はもっと素直でいたいのに それは危険なことだから 簡単には素直になれない毎日で そんな時に聞いて欲しい 純粋な少女のパワーを 必要としているときが きっと誰にでもあるはずだから 少女らしさを いつまでもあなたの心に 素敵な毎日を過ごして下さい」
つまり、女性は社会で自己実現するのは精神的にも肉体的にも厳しいけれど、「少女の心」を持っていれば生きづらさに対して具体的な解決策はなくとも、素敵な毎日が送れるんじゃないかな。という無責任さである(おまけに、“あなた”といることで、学習意欲はまるでなくとも自己肯定感だけは獲得できるのだ)。
「愛の時代に突入 すなわち愛の詩の時代の到来 キレイなものは人々の心を満たして 輝きを与えてくれる 悲しい気持ちにさせるのはNG 本当の愛は確かな気持ちを与えてくれるよね」
社会的に生きづらくても愛さえあれば大丈夫だし不満を言うのは良くないし、とにかく愛があれば大丈夫でしょう。と、念を押してくる。
内省とアンニュイさがなんだかヤバい方向に行っていると思うのは私だけであろうか? もちろん、雑誌のコピーなんて「ごっこ遊びに耽るためのもの」、現実とは関係ない。という見方もできるのだが、男女の雇用格差・賃金格差が世界でもトップレベルであるにも関わらず「ジェンダー問題なんてもう古い」と言われる日本で、フェミニズムやジェンダースタディーズに対して、偏見のない人よりもヘイト側の方が知識が多く、普通の女子大生などが「関わるとろくなことがなさそう」とアクセスをためらう状況を目の当たりにしていると、どうにもこうにも「LARME」の提示する世界は、「辛い現実をやさしく包んでくれる繭のような妄想」に見えてしまう。
ヤンキー的ではあっても、「より良い明日のための」マニフェストを唱える「小悪魔ageha」の心意気は尊いものであった。個人的な感想になるが、「LARME」には、この「革命家としての小悪魔ageha」の遺伝子を受け継いで欲しかったものである。
■ 柴田英里(しばた・えり)/ 現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。Twitterアカウント@erishibata
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