「遺伝子を残すべし!」という命令は生物的にプログラミングされているのかもしれない。しかし「自分の遺伝子を残す必要があるか?」と問われると、合理的な理由が見当たらない。人類のため、社会のために、自分の遺伝子は残されるべきである、と胸を張って言えるのは、とんだエゴイストか、ちょっと危ない人に違いない。自分の遺伝子がハッキリと「子孫を残せ!」と語りかけるようなら、それはたぶん幻聴である。
「子孫を残せという本能が、性欲として表れている」とは言えるかもしれないけれど、性欲はもっと多様というか複雑だ(子孫を残すのだけ直接結ばれているわけではない)。思うに「遺伝子を残したい」という男性の発言は、自己暗示的なストーリーに過ぎないのではないか。もっと他に理由があるはずなのに、本能だとか、遺伝子だとか、わかりやすい理由付けで満足してしまうのだ。
「子供が欲しい」という欲求は、自覚している以上に社会的に構築されている。「子供がいない夫婦は寂しい」、「親に孫を見せないのは親不孝だ」などなど、本能なるものよりもずっと強く「子供を作りたまえよ」的なメッセージが世の中には溢れている。
そもそも「父親」という役割像もまた、社会的なメッセージのひとつだ。で、このメッセージの内容がそもそも無責任な性格をもっているんでは、と思うのだった。「父親になりたい」と思う男性に「父親になってなにがしたいのか」と問うと、「大人になって一緒に酒を飲みたい」だとか「サッカーを教えてあげたい」という、典型的な答えが返ってくる。たしかに父と子がそういう風に過ごしている様子は、端から見ると「良い親子の姿」だろうし、楽しそうではある。
でも、そこには教育だとか育児だとか、そういう親としての負担・責任は、すっぽり抜けてしまっている。女性からすれば「そんなこと言うのは勝手だけど、産むのも、育てるのも私たちなんだからね!」という話だけれど、そもそも男たちは無責任な父親像に憧れているんだから、無責任になるのも当たり前だ。お姫様に憧れている女の子みたいな感覚で、父親になりたがってるんだから。
「イクメン」という言葉がすっかり定着してしまって久しい。無責任な父親像の変化のあらわれでもあるかもしれないけれど、恥ずかしい言葉だと思う。川上も「ちょっと手伝っただけで『イクメン』とかいわれてさあ、男が『イクメン』やったら女の場合はなんて呼べばいいのですか」と率直に書いている。
まあ、そうですよね。これまで無責任だったのが、ちょっと関わったぐらいで「やってやったぜ」とか言われたら、そりゃあ、腹が立ちますよ。そういうドヤってる言葉がなくなって「普通の父親」像のなかに責任が含まれてこない限り、こういう不均衡はなくならないよね。
40代後半とかさ、そのぐらいの年齢で結構稼いで、結構遊んでいるオジサンが「結婚はしたくないんだけどさ、子供が欲しいのよ。だれか産んでくれねえかな〜」なんて冗談とも本気ともつかない感じで口走る。こういうの、無責任さの権化みたいな感じである。そんな無責任な言葉、恥ずかしくて言えないと気付けるように、男性は目を醒まさなきゃいけないと思うのだ。
■カエターノ・武野・コインブラ /80年代生まれ。福島県出身。日本のインターネット黎明期より日記サイト・ブログを運営し、とくに有名になることなく、現職(営業系)。本業では、自社商品の販売促進や販売データ分析に従事している。
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