そんな長山先輩が、当時を振り返る。80年代のアイドルにはデビュー後「二年目のジンクス」というのがあったそうで、長山先輩のデビュー時も二年目はスケジュールがガラ空きだったらしい。一年目の新人賞レースが終わると仕事が無くなることを危惧して二年目は諦めて田舎に帰るアイドルが周りにとても多かったそうだ。それでも諦めずに堀越学園に残っていた売れないアイドルたちは、仕事が無いことをバレたくないから、「仕事で多忙なフリをする」という「堀越学園あるある」があったらしい。森口もニセの早退届けを出したりして、忙しいフリをしていたそうだ。アイドル時代の涙ぐましいエピソードである。
10代の多感な時期に人気で差がついてしまうと、苦悩は相当キツイものだ、と長山先輩が切なそうに話すと、森口は当時書いていた日記がいちいちポエムになっていたと語り出した。「頭が割れる……、誰か助けて」「我慢することが大人なら、私は大人になんかなりたくない!」などと悶え苦しむ青春時代を日記に綴っていたそうだ。そんなうつ状態に突入しそうなまでの精神状態を必死に乗り越えて来たからこそ、バラドルという新ジャンルで大きく飛躍できたのだろう。
長山先輩は森口のポエム調日記のくだりで、座っている椅子から前のめりで転げ落ちそうになるほど体を折り曲げて大笑いしていた。後輩が思い詰めすぎて“ポエマー”になったことが先輩のツボにどハマリだったようである。井森が落ち込んだ時は森口に「慰めソング集」のカセットテープを作って貰い、落ちるだけ落ちて元気を取り戻していたそうだ。ザ・友情~! カセットテープの録音作業は簡単にダウンロードできたりする今と違って、昔は手間と時間が相当かかっていたものである。
CM明けに話のテーマが年齢の話題へと移ると、井森は自分が現在40歳を越えていることが不思議でしょうがないということを話し出した。確かに見た目にも44歳には見えないし、若く見えるもんな~。なんでも、気分的には高校生時代とちっとも変わっていないそうである。そのせいか、「自分が全然成長してないんじゃないかと不安になる」ことがあるとのこと。
「自分時計」を保守した森口博子
40代半ばで井森と森口が独身真っただ中であるので、長山先輩は急に後輩二人の恋愛事情に斬り込み始めた。お先に結婚して子供も授かっているので、先輩的にはかわいい後輩たちが未だ独身であるのが心配な様子だった。「結婚は恋愛じゃないよ」と諭す長山先輩に井森も森口も興味津々で質問し合い、女子会みたいなノリで結婚感を語り合うアラフォーたちの夏。なんか女子高生に戻ったみたいでカワイイっす!
「私たちの世代、貰い手いるんですかねぇ?」と半ば諦めモードで問いかける井森、それに対し森口は、自分より若い20代30代のかわいい女性たちが未婚でたくさん残っているから自分たち40代には厳しい現状であると憂いながら、「井森と私のせいじゃなくて、社会現象ですよね~!」と自分たちの独身問題は社会現象の産物であると主張していた。なんかデッカい話になってる~!
また、森口は「“他人と向き合う煩わしさ”と“孤独と闘う寂しさ”だったら、孤独の方が全然ストレスフルじゃないと思ってた時期があった」と語った。森口はかつてプロポーズされた経験もあるが、仕事を辞めて欲しいと要求されることが多かったためお断りしていたらしい。「一人でいる時の方が自分時計をグルグル回せて楽」だと思っていた時期だったので、自分のやり甲斐ある仕事を奪われたり、自分時計を狂わされるのは不本意だったようだ。
そこへ、井森が「(独身生活を)“孤独”って捉えると寂しいけど、これを“自由”って捉えると寂しく無いなっていう、せめぎ合いみたいなところがある」という名言を放った。けれども森口はアラフォーに入るとその“自由”が「守るものも無ければ、老後どうなっちゃうんだろう、孤独死とかやだな……」という切実な問題へと変化して行ってしまうと嘆いていた。