恋愛対象を異性に限定しなくていい
シスターフッド、女性同士の連帯において、友情や親愛と同時に、「ホモフォビア」ならぬ「レズビアンフォビア」が入り込むことは、残念ながら少なくない。女性誌にゲイ男性(ほとんどがいわゆる「オネエタイプ」である)が出て恋愛のいろはを提言するページは数あれど、レズビアン女性がその役を担う機会は現状ほとんどないことや、恋愛コラムでも恋人や気になる人物を「異性」と表記することが多いことなどを筆頭に、われわれの社会では「女性同士の連帯」における「女性」が、暗に「ヘテロセクシャル女性」だけを想定されている。
当然ながら、大人でも子供でも、「異性」のみに関心を抱く者ばかりではないし、関心を抱かない者だっているだろう。『輝きのエチュード』は、女性同士の連帯において、「手をつないでほしい」「あなたが好きだから世界は こんなに今日も優しい色をくれるよ」「あなたが好きでいてくれるから わたしはいつだって強くなれるの」と同性愛的欲望を抱く事を処罰しないばかりか、それを全力で肯定する歌詞である。その歌詞によって自己を肯定できる、セクシャルマジョリティではない子供(もちろん大人も)は少なくないだろう。とりわけ、セクシャルマジョリティではないことによって自罰的になっている子供にとっては、大きな救いになるように思う。
シスターフッドやホモソーシャル的な連携の中から、ホモフォビア・レズビアンフォビアを取り除く意義は大きい。
三世代による文化継承
「大スター宮いちごまつり」アンコールライブで、星宮いちごが特別ゲストの神崎美月と大空あかりとともに歌った時の衣装が、「眠れる森の美女」モチーフであったこと、「大スター宮いちごまつり」で主役のいちごが「オーロラ姫」ではなく「リラの精」モチーフの衣装であり、美月が「魔女」、あかりが「オーロラ姫」をモチーフにした衣装であったことも興味深い。
絶対的な力を持つ魔女と、トップアイドルであった美月が共通して抱えていた孤独。眠れるオーロラ姫と、まだ実力が伴わない新人アイドルあかり。二者の中心に、オーロラ姫の呪いを緩和した魔女と同じ魔法を使うリラの精であるいちごがいる。
美月が魔女であることは、「どれだけ素晴らしい文化も、継承されなければ孤独な呪いになり得る」という示唆であろう。魔女と同じ魔法を使い、オーロラ姫を導くリラの精の衣装を主役のいちごが着ることは、「継承した文化を形を変えながら伝えていくことこそが重要である」という意味を持つ。その文化を、魔女や妖精といった「特別な力」を持った者だけでなく、呪いにかけられ眠っているオーロラ姫のような、「まだ力を発揮できない者(あかり)」にも寄り添い伝えていきたい――という想いが込められているのではなかろうか。
劇場版のクライマックス、いちごはアイドルになるきっかけをつくった美月をアイドルランキングで抜く。トップに上り詰めたいちごが美月へ「美月さんは私の憧れだった」とはっきりと伝え、後輩でありいちごに憧れてアイドルになった大空あかりを友人・ライバルたちの輪に招き入れ、「少しずつでいい、地道でもいい。這い上がってきて、私のところにまで」と伝えるところで盛り上がりは最高潮に達する。「憧れを乗り越えて気持ちを伝え、自分がしてもらったように後輩に道を示す」という、シスターフッドの意味そのものであるかのような、「世代を超えた繫がりと同年代の繫がりという縦と横、二つの連帯と継承」を示した素晴らしいシーンだ。
『劇場版アイカツ!』は、歌やダンスのシーンがかわいくて、明るく楽しいコメディでありながら、シスターフッドとレズビアニズム(ヘテロセクシズムではない愛)を肯定する映画だった。アイカツワールドの世界観さえ事前に予習しておけば、幼女先輩やアイカツおじさんでなくても楽しめること間違いなしだ。
■ 柴田英里(しばた・えり)/ 現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。Twitterアカウント@erishibata
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