こうした誠司の苦悩(「男性優位社会」に苛まれる男性)を、「めぐみは本当は誠司のことが好き」という恋愛的ハッピーエンドだけで解決するのはあまりに乱暴すぎますし、女子中学生であるめぐみに「世界を守りつつ身近な男性の心の機微を慮れ」というのも無茶ぶりです。
中学生の女の子に、「(世界を救うという)莫大なストレスがかかる(であろう)仕事をこなしつつ、身近な男性の心の機微を慮れ」というのは、専業主夫を持つ女性や共働きで家事も負担する既婚女性の苦悩と、「母だから・妻だから・女だから出来て当たり前」という視線を受けることを含めて似ています。
本当だったら、めぐみ(専業主夫を持つ女性や共働きで家事も負担する既婚女性)も誠司(社会からも特定のコミュニティーからも疎外感を受ける専業主夫)も双方破綻しそうなものですが、これに、「女性性・母性、愛があれば女の子は無敵!(雇用や賃金の状況が不利でも、一方的に家事や育児を押し付けられても平気です、愛がありますから)」という結論を出してしまうところも、今の日本社会の様相と酷似していませんか?
いずれにせよ、『ハピネスチャージプリキュア!』における男性性とは、「どんなにクズくても、イノセントでハピネスな女性性によって救済してもらえるもの」に他なりませんし、「男性優位思想」に苦しむ男性も、結局女性の「愛」によって救済され、それが「幸せハピネス」であるとされました。
武器を持って戦う女の子を描くために、「働かない男と、働き・なんでもこなしつつつ・ダメな男も癒す女」というサブリミナルをチラつかせる『ハピネスチャージプリキュア!』。ただ単に女の子が暴れ戦うことに爽快感を見出せた初期のプリキュアはどこに行ってしまったのでしょうか?
「愛ゆえに、憎い」「愛ゆえに、赦す」といった「愛だからオールオッケー」理論はいい加減に飽きました。「恋愛脳・博愛脳はどんなものでも最高」なバカバカしさにツッコミが入らない女児向けアニメや少女漫画は不気味です。心身ともに成長期の子供が見る女児向け・少女向けだからこそ、安易に「愛こそ全て」という結論にしないでほしいものです。
『ハピネスチャージプリキュア!』は、この10年でプリキュアがどのように変容したかがわかる、悪い意味での集大成なのかも知れません。そういう意味では、キュアラブリーは、全ての幼女の反面教師として優れていますし、『ハピネスチャージプリキュア!』は名作です。
10年で徐々に当てはめられていった「女の子の型」、プリキュアに課されてきた欲望を払いのけるような、新しいプリキュアの活躍を期待しています。
■ 柴田英里(しばた・えり)/ 現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。Twitterアカウント@erishibata