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享楽的な過食嘔吐ブロガーが見せる、情緒に拘泥しない食べ方

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(C)柴田英里

(C)柴田英里

 インターネットの世界には、数えきれないほどのブログがあります。芸能人、ファッション、ダイエット、趣味、ママ、オカルト、食べ物、美容整形、ジャンルも様々で、ネットサーフィン中についついチェックしてしまう方も少なくないのではないでしょうか。

 私は、ジャンルでいうと、「カショオ」にまつわるブログが結構好きで、最近では、「お腹は空いているけどとりわけ食べたいものがないな」という時に、メニューの参考に覗くことが多いです(食べ吐きを繰り返すカショオブロガーの傾向として、口腔や食道や胃などの健康とダメージを考えてか、固い食べ物や激辛の味付けなど、癖のある食べ物を好む者が少ないので、メジャーで手に入りやすい食べ物が多いところが食事を参考にする上で便利でして)。

 「カショオ」とは、拒食症や過食症といった摂食障害の一種である過食嘔吐のことに他ならないのですが、「カショオ」ブロガーたちをみていると、ひとえに「摂食障害」と言い切ってしまうには違和感があるほど、享楽的で趣味的なものも稀にあるように思います。

 もちろん素人判断ですし、「楽観的なブログを書く人は楽観的である」なんて保証はどこにもありません。明るく楽観的なブログを書く人がものすごく精神不安定であったり、逆に鬱々としたブログを書く人が、超明るくさわやかな人であるようなことだって稀ではないでしょう。

正しい食事は本能ではない

 「カショオ」する人の背景に、機能不全家庭やトラウマといった精神の問題があれば深刻ですが、「カショオブロガー」の中には、一度の宴会で大量の料理が用意され、満腹になるとクジャクの羽根を喉につっこんで吐きながら食べ続けたという、古代ローマ貴族の享楽的饗応スタイルのような人もいるようにどうしても思えてしまうのです。

 私がそう感じてしまう背景には、カショオブロガーの中には、どんな食べ物に対しても対等に接している(1人で取った食事であれ誰かとともに取った食事であれ、コンビニ弁当やスーパーの総菜であっても、高級フレンチや焼き肉であっても平等に食べて吐く)ように見える人が少なからずいるからです。

 「食べる」という行為は、単に生きるために必要な栄養を摂取する行為ではなく、とても政治的で文化的です。食事のマナーから、誰と、何を、どのように食べるかに至るまで、「食べる」ということが、単純な栄養摂取であることの方がずっと稀です。

 食べログのレビューに自分語りや交遊自慢が多いことや、テレビ番組の大食い選手権であっても「奇麗に食べること」が暗に求められることからも、「食べること」の政治と文化が読み取れます。

 そして、「食べること」の政治性と文化度が高まれば高まるほど、「単純に食べ物としてのみの食べ物の評価」は成立しにくくなるように思います。「何を食べたか」「どんな味か」よりも「誰と」「どこで」「どのように」が重要になるので当然です。

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柴田英里

現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。現在、様々なマイノリティーの為のアートイベント「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」の映像・記録誌をつくるためにCAMPFIREにてクラウドファンディングを実施中。

@erishibata

「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」

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