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フェミニズムアートとしてのろくでなし子作品の意義

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(C)柴田英里

(C)柴田英里

 4月15日に東京地裁で開かれた、ろくでなし子さんの初公判に行ってきました。傍聴券の倍率は高く、残念ながらハズレてしまったのですが、閉廷後の会見を聞くことはできました。

 会見を聞いてまず驚いたのは、裁判では、ろくでなし子さんの作品が深い木箱に入れられ、傍聴者から見えない工夫がされていたということです(はじめは、木箱の上に紫色の風呂敷がかけられていたそう)。ろくでなし子さんの作品『デコまん』が「ワイセツか否か?」を問う裁判であるにも関わらず、『デコまん』を見るだけでPTSDなどが起こる恐れのある被害者はいない事件であるにも関わらず、裁判に興味がある傍聴者に「証拠品」を見せないようにする必要はあるのでしょうか? 裁判中、この件に関し弁護士たちは異議申し立てをし、15分ほど協議したそうですが、『デコまん』が箱の中から取り出されることはありませんでした。

 閉廷後の会見で、ろくでなし子弁護団の1人である歌門弁護士は、「証拠品」を箱に入れて傍聴者からことさらに隠すようにする行為は、以下に反しているのではないか、と述べていたのが印象的です。

 憲法第82条『裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。但し、政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利が問題となつてゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない』

空気を読まずに生きる権利

 ろくでなし子さんの作品が「ワイセツである」にしろ「ワイセツではない」にしろ、あらかじめ封印されたものを審議すること自体が公平ではないように思います。

 一方で、作品が審議される場においても、あらかじめ封印されて(箱に入れられて隠される)しまうような状況は、フェミニズムアートやジェンダーアート、クィアアートの受容のされ方と似ているなあと思いました。

 日本では、近年研究は増えてきているというものの、とりわけ近代以降の『日本美術史』がまだあまり歴史化されていない現状があります。さらに、フェミニズム、ジェンダー、クィアなどの思想が背景にある作品が、背景にある思想をうやむやにした状態で展示・受容されることもあります。

 鑑賞者には作品を好きなように鑑賞する自由がありますし、意図的にコンセプトを見せないようにした展示を心がけている作家もいますが、そのどちらでもない場合、例えば、バックラッシュの影響などで、「フェミニズムアートだから展示するのは嫌だ」という判断がされてしまうのを恐れて作品の背景にある思想やコンセプトを隠蔽せざるを得ない場合があるとすれば問題です。

 時代や背景によって作品が社会に対して持つ意味や受容のされ方は変容していくのが常ですが、そこから「作者の制作意図」という当事者の意識だけが意図的に排除されることは、後々の鑑賞者にとっても、作品を鑑賞する大きな楽しみの一片が剥奪されるという意味で幸福ではないように思います。

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柴田英里

現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。現在、様々なマイノリティーの為のアートイベント「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」の映像・記録誌をつくるためにCAMPFIREにてクラウドファンディングを実施中。

@erishibata

「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」

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