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「女による女叩き叩き」の不毛感と、米と味噌汁による幻想

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(C)柴田英里

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 5月8日、愛情料理研究家という肩書きを持つ土岐山協子さんが、自身のブログ『料理はしないんだけど料理研究家のブログ』において、『すげえ腹立つわ』というタイトルの記事を投函し、炎上しました。

 この記事の内容は、「就学前の子供と、家族が生活するのに困らない収入が得られる職についている夫がいる女性は、仕事や趣味を捨て、子育てに集中すべきである」という保守的な観念のもので、内容そのものも問題ではありますが、なによりその語り口の雑さ、言葉選びの汚さが目立ち、「炎上狙いなのでは?」と思ってしまうものでした。

 まず、「就学前の子供と、家族が生活するのに困らない収入が得られる職についている夫がいる女性は、仕事や趣味を捨て、子育てに集中すべきである」という論のどこが問題であるかを順にあげていきます。

児童の健やかな成長のための、親への拷問

 (1)家族が生活するのに困らない収入が得られる職についている夫がいたとしても、「夫が職を失うことや減給されること」「夫が不慮の事故などで亡くなること」「夫婦関係が破綻し離婚すること」などによって、「家族が生活するのに困らない収入」が崩壊する可能性はいくらでもあります。

 また、出産や育児などで一度仕事を辞め、何年も働いていない状態が続くと、再就職の際に良い仕事を得られる機会が減る現状もあります。

 そうした中で、夫婦が共に働くことは、「子育てにおいて金銭•生活に窮する」リスクを下げることに繋がっているにも関わらず、就学前の子供と現在家族が生活するのに困らない収入が得られる職についている夫がいる女性に、「子育てへの一点集中」を強制することは、「子育てにおいて金銭•生活に窮する」リスクを上昇させます。

 (2)この「母親は子育て一点集中」主張の問題は、いわずもがな、「母親の人格否定」にあります。

 どんなに子供が小さくても、親は「子供のため“だけ”に存在する人」ではなく「一人の人間」です。「一人の人間」から、仕事や趣味で社会と繋がったり、趣味によって心を豊かにすることを無理矢理奪うことは、「子供を育てる人」を人間として扱わず、拷問している状況に等しいように思います。

 社会との繋がりや趣味で心を豊かにする権利を無理矢理奪われ、疎外感を味わっている人間よりも、社会と繋がり、心が豊になっている人の方が、子供を育てることに適しているように思いますし、単純に、「子供を育てる人」を人間として扱わないことに、メリットがひとつも見いだせません。

 (3)なぜ、「女性•母親」だけが断罪されるのかという問題もあります。共働き家庭で男女ともに「家族が生活するのに困らない収入」を得ることができていて、さらに当人たちが望むのであれば、男性が「子育てに集中」し、「仕事や趣味を休む」ことがあってもよいはずです。

 土岐山さんはなぜ、「家族が生活するのに困らない収入が得られる職についている配偶者がいる者」ではなく、「家族が生活するのに困らない収入が得られる職についている夫」と、「子育てに集中すべき人」を女性に限定し、子育てを「女性の仕事」と位置づけているのでしょうか。

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柴田英里

現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。現在、様々なマイノリティーの為のアートイベント「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」の映像・記録誌をつくるためにCAMPFIREにてクラウドファンディングを実施中。

@erishibata

「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」

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