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発達障害者は恋愛・結婚を諦めるほうがいい? 「誰もが結婚して当然」という価値観を疑う

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該当togetterより

 先日、「発達障害者には恋愛・結婚を諦めるよう心理療法的去勢するのがよい」というTogetterが話題になっていた。「成人ASD(自閉症スペクトラム)当事者は、恋愛や結婚は障害受容(自らの障害を受け入れること)の問題が出てくるため、異性との関係を築くことを早い人生の段階で諦めてもらう、心理療法的『去勢』と障害受容が現実的なツールだ」と主張するツイートを発端に重ねられた議論をまとめたものだ。

 Togetterのタイトルが「自閉症スペクトラム」ではなく、「発達障害」となっているのは、おそらくふたつの違いが込み入っているため、より馴染みのありそうな「発達障害」というワードを使ったのだろうと思われる。

 発達障害はいくつかのタイプに分類される。例えば、5月25日の『あさイチ』(NHK)で、発達障害であることを公表したモデル・俳優の栗原類さんは「注意欠陥障害(ADD)」だった。ここ数年でよく耳にするようになった「アスペルガー症候群」も発達障害のひとつであるし、「自閉症」や「注意欠如・他動性障害(ADHD)」も発達障害に含まれている。ひと括りに「発達障害」といってもその特性は様々なのである。

 議論の発端となった発言者に対しては「障害者虐待だ」「優生学だ」といった批判が当事者から寄せられた(発言者もまた発達障害の当事者であった)。その後、「去勢」という表現については、物理的去勢を想起させるものとして撤回している。

 この問題はあまりにセンシティブだ。発達障害は誤解が多い。当事者が危惧するように、差別や偏見を助長しかねず、慎重に議論しなくてはいけない問題だろう。だが一連のツイートを見ていて、「発達障害」という限定された設定を取り外すと、発言者の問いかけは、より広い視野で考えることが可能になるのではないか、と感じられた。

そもそも結婚する/しないは自由でしょ

 発言者は意見を交換する中で「社会の構造を根底から疑う習慣として『性の役割と欲求』をあげただけ」「期待される望ましい役割は価値観に埋め込まれている」と発言している。

 おそらくここでいう“価値観”とは、冒頭で挙げた「恋愛」「結婚」を「良いもの」「望ましいもの」とする価値観であり、“役割”とは、そうした価値観に則した立ち振る舞いのことだ。「結婚のために望ましい(とされる)女らしさ/男らしさ」といった「性の役割」が分かりやすい例かもしれない。

 しかし、当然のことだが恋愛や結婚はしなくてはいけないものではない。したい人はすればよいし、したくない人はしなくてよい。していないからといって、当人になんらかの欠陥があるとは限らないし、非難されるようないわれもない。恋愛や結婚によって幸せになれるなんて保障はないのに、「結婚しなくてはいけない」という強迫観念に苛まれ、無理やり結婚して本当に幸せになれるのだろうか?

 収入や性格や環境や、その他いろいろな要因がふたりの間でマッチしたときに、お互いが「結婚したい」と思えば結婚すればよい。収入に不安を抱えながら結婚して、生活が破綻する人もいれば、意外と幸せになってしまう人もいるだろう。そのくらい不確実性に溢れたものを個々人に押し付ける空気は、かえって不幸を招く。

 「結婚を諦めさせる」ではなく、そして「○○障害」に限定するでもなく、単に「結婚してもしなくてもどちらでもいい社会」。「恋愛や結婚は(絶対に)良いものだ」という根拠なき価値観が解体されたとき、役割を押し付けられている人びとの生きづらさは随分と減るのではないだろうか。
(門田ゲッツ)

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