遂に勃発、メンタルの危機
学校行事は無事終わり、その後も実行委員会の面々と仲良くしながら、夏休みに入りました。何をしていたかは覚えていません。多分委員会メンバーと遊んだりしていたはずなのですが。
そして八月下旬、夏休みの終わりに、遂に私は「尋常じゃなくヤバくて、自分ではコントロール出来ない状態」に陥ります。具体的には、訳もなく号泣する、暴れる、意味不明なことを叫ぶ、眠れなくなる、突発的な自傷に走る(壁に頭を打ち付ける等)といった具合だったと思います。
当時はまだ、心療内科への通院は今ほど一般化していませんでしたが、事態を重く見た両親が近場にクリニックを見つけ、そこに通うようになりました。
「神経症のようなもの」と言われましたが、もうひたすらに辛いばかりで、言われるままに心理検査を受け、言われるままに薬を飲み、その後カウンセリングも受け始めました。
それが夏休みの終わりですから、数日後からは当然、二学期が始まります。毎日二十四時間、一瞬たりとも気が休まらず、眠れず、何が辛いのか分からないけどただただ辛くて、呼吸をするだけで精一杯、といった体だった私は、外に出るどころの話ではありませんでした。医者は「無理に登校させるな」と親に言ったようで、私は家にこもりがちになり、睡眠周期は乱れ、昼夜逆転してしまいます。
学校には週に一度顔を出すか出さないか、くらいになった秋のある日、親がこんなことを言いました。
「無理しなくていいけど、あの先生には会いに行ってもいいんじゃない?」
あの先生とは、私が一学期に唯一真面目に授業を受けていた科目の教師でした。しかし、テストの解答を褒められたこと以外は接点のなかった人物です。その時は意味が分かりませんでした。
ちなみにこの前後、両親が私の担任教師に不登校について相談に行ったそうなんですが、彼はばっさりと
「友達がいないから来ないんだろ」
と吐き捨てたそうです。い、いや、確かにクラス内に友人はいなかったけど、うん、おう。
そして、また学校行事の季節になりました。クラスごとに催し物をする類のイベントです。その前夜、私は不登校ながらクラスに貢献したいと思い、催し物に必要なものを色々購入し、翌日イベントに向かいました。
「何か出来ることがあったら言ってね」
クラスをまとめている系の女子グループに言うと、
「学校来ない人にやってもらうことなんてないから」
ずどーん。
凹みの音が鼓膜を物理的にノックするが如く打ちのめされました。呆然と教室を後にした私は、すっかりパニック状態でした。対して周りの生徒といえば、皆一様にイベントの準備をしたり参加したりと笑顔で、私のブリザード吹き荒れる心境とは太陽と冥王星くらいかけ離れておりました。
ヤバい、落ち着こう。でもなんで彼女達はあんなことを? 私は善意で言ったのに?
っていうか昨日買ったグッズ、全部無駄になっちゃった。
いや、そんなことどうでもいいんだ。ここにいたくない。ここは辛い。
どうしようどうしようどうしよう、落ち着かなきゃ。
薬! 薬を飲まないと。もしくはカッターを。
一刻も早く、薬かカッターを。
どうしよう、薬も刃物も持ってない。
どうしたらいいんだろう? 自分が何をするか分からない。
手はぶるぶると震え、明らかに挙動不審な状態で、私は校舎を出ました。
校舎裏で泣きながら、親に「薬持ってきてくれ」と電話すると、
「いいけど時間がかかるから、あの先生の部屋で待ってたら?」
と例の教師の名前を出したのです。
もう、避難出来るならどこでもいい……。
そう思った私は、あの先生がいらっしゃる校舎の一室に向かったのです。
「おまえさん先生」登場
当時あの先生はヘビースモーカーで、しかもかなり重いやつを吸ってらっしゃいました。先生の部屋は、正確にはその科目の担当教師の準備室のような所でしたが、私の印象ではあの先生ともう一人の職員が主に使っている様子でした。
部屋はタバコとコーヒーと書類の匂いがして、机の島の奥にはソファとテーブルがありました。あの先生は、いつもそこに座って私の相手をして下さることになります。
素直に申し上げますと、初めてあの先生とお話ししたときのことを覚えていません。記録も見当たりません。しかしその後、私は教室よりも保健室よりも頻繁にその部屋に入り浸ることになるので、居心地が良く、あの先生に対しても「信頼に足る」と確信したのでしょう。
「おまえさんはなぁ」
何故か先生は生徒のことを「おまえさん」と呼んでいました。馴れ馴れしくもなく、突き放している訳でもなく、本当に自然な感じで。それが心地よかったことは今でも覚えています。
その頃も私は、やはり自傷行為をしていました。刃物で左腕の「外側」を切っていて、他にも前腕を噛んだり、キスマークどころじゃなく強烈に、どす黒い鬱血の痕が残るまで吸ったり捻ったり、といった具合で。
左腕の「外側」というのは個人的なポイントだったりします。後に私は「内側」を切るようになりますが、その変化はまた追って。
「おまえさん先生」は、私の自傷について、叱ったり責めたりやめろと言ったりはしませんでしたし、少なくとも私に対しては狼狽した態度や嫌悪感なども見せませんでした。先生のその姿勢は親とは大違いで、でも決して無関心にスルーしている訳でもないことも分かったので、もしかすると私はそれで「この人は信頼に足る」と思ったのかもしれません。
そう、親。まあ、上に書いた程度に自傷してりゃ、そりゃバレます。
これに関しては恣意的な理由で簡潔に記しておきたいのですがね、まあ泣かれ、殴られ、母には「切りたくなったら私を切りなさい!」とまで言われました。そんなの実行出来る訳がないというか、第二回で書いた通り、不快感情を「外」に向けることが出来たら、最初から自傷はしなかったんじゃないかと。