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結婚は大いに誤解されている? 恋愛市場からのアガり=終了、ではない

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Photo by Robert Allan Clifford from Flickr

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 先週は「35歳で奔放なセックスを自慢気に語るのは痛いんじゃないか」というお話をしましたが、今回も少しその話を引っ張ります。前回記事に対して、「かつては女性がセックスに奔放になれる時代ではなかった(もっと抑圧的だった)。今は奔放さを許されるのだから良い時代になったと思う」という意見を頂戴しました。確かにこれは一つの解放であり、革新なのかもしれません。

 でも本当にそうなのか? 件の「3日間で5人とセックスした女性」アカウントは、そのツイートをさかのぼると、奔放に振舞うと同時に「いつかは運命の男性と結婚したい」という願望を抱えていることが見て取れます。そしてその運命の男性は、可能であれば、高収入であり、ハイステータスな人間であってほしい、とも。

 興味深いことに、こうした女性のTwitterアカウントが一部で人気コンテンツと化しています。彼女たちをひとまとめに「キラキラハイスペ女子」と呼ぶ向きもありますが、あるいは「港区系ハイスペック男子狙い女子」とでも呼べるでしょうか。

 彼女たちの語る恋や愛や男論の向こうには、「好き勝手に恋愛の自由を謳歌したら、どこかで折り合いをつけて、高収入男性の庇護のもとで暮らす」という人生すごろくのアガり方が、理想的なものとして語られています。これって、「独身貴族を充分に謳歌したら、落ち着いて奥さんと子供のいる家庭を持つ」という古い男性の人生観にとても近い。「今まで男はそうだった、だから今は女もそうでいいじゃない」なんて批判もあるでしょうが、その人生観自体がとにかく古クサいということです。

 結婚がすなわち理想の相手を見つけるための恋愛市場からの撤退であり、自由の諦めだ、と思っていることで両者は一致しています。いつ諦めるのか、どこで折り合いを付けるかの判断が難しいところも一緒。恋愛市場でのゲームは勝ちが見えていれば楽しいでしょうし、勝っている時期はなかなか降りられない。

 また、生涯を通じてまったく結婚願望を持たない男女もいますが、内心で「いつか誰かと結婚」と思い描いている状態だと、恋愛が「結婚相手としての運命の人探し」になってしまう。で、35歳女性がその「人探し」をしつつ、セフレの愚痴を書いたり、フジロックでヤリまくったことを書いたりするのを見て、しんどそうだなあと思ったわけです。

バツイチはチート・モード?

 そもそも、一回も結婚したことがないのになにを持って未婚者は、結婚について判断するんだ、と。結婚したらどうなるか、なんて、してみなければわからなくないですか? 他の誰でもない、自分のことなんですから。

 「毎日同じ相手と暮らさなきゃなんて信じられない」「同じ相手とずっといたら張り合いがない」「女としてずっと恋愛していたい」。恋愛体質を自称する女性から聞かれる結婚への誤解で、一番多いのがこうした思い込みです。パートナーが気に入らなくなったら離婚すれば良い話だし、張り合いがないからと言ってパートナーへの配慮をどんどん忘れていけば関係の悪化は目に見えている。恋人同士じゃなくて夫婦・家族になったんだから、もう「(配慮しなくて)いいよね」なんてことは全くない。

 その意味では、結婚は恋愛市場からの撤退ではなく、特定の相手と独占契約を結んで取引を続けているに過ぎません。

 市場から降りたつもりで結婚した途端に、相手に対する緊張感を完全になくしてしまう人って多いと思うのですが間違いだと思います。結婚した途端に急激に太りはじめる男性などわかりやすい例ですが、女性もまた然り。「結婚=アガり」だと思っている人は、ここで失敗してしまうような気がしてなりません。

 ただ、独占契約を結んでいるわけですから、その結婚後の取引は、平場の恋愛市場よりもゆるやかで良い。そのゆるやかさを手に入れることは、結婚するメリットのひとつであり、私は結婚を「自由をそこそこ手放すに見合うだけのもの」だと評価しています。私が既婚者の立場から、「自由恋愛を謳歌し尽くして、どこかで折り合いをつけて結婚でアガる」タイプの人生観に意見を申し上げると、事実、結婚によって諦める自由はあります。が、結婚がすなわち恋愛の「ときめきや一夜の興奮や“モテ”“ちやほや”を失う」デメリットを持つ、と捉えるのは一面的では。恋愛をしないメリットもあるからです。

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