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自傷女子高生は「構ってちゃん」だと思っていませんか?

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傷の数だけ理由(ワケ)がある

傷の数だけ理由(ワケ)がある

最近乱視が進んでいて困ります。先日、電車内の広告にジュリア・ロバーツがいる、と思ってよく見たら岡田将生くんでした。いい加減メガネを直した方が良いような気がした瞬間でした。

さて前回は、高校に上がって「灰」スクール・ライフを送りながらも、いよいよメンタルの危機が勃発、不登校になって、というお話しをしました。命の恩人である「おまえさん先生」と出会い、ミラクルに進級したその後、高校二年になり、「おまえさん先生」と頻繁にお話し出来ることもなくなって、ワタクシこと戸村サキは色々考えながら日々を送っていました。

学校にはろくに通えない、クラスに友達もいない。つるむのは、私と同じように学校内で「はみ出して」いた男子達。大半の教師には白い目で見られ、大多数の生徒も同様。レディオヘッドの名曲『Creep』から引用すれば「俺はこんな所で何をしているんだ?」状態。

私はこれからどうすればいいのか。このままずるずると不登校気味のまま、メンタルも辛いまま、周囲からはみ出したまま生きていくしかないのか?

っていうか私は、一体何がしたいんだ?

この進学校で成績を上げて有名大学に入って云々、なんていう「レール」からはとっくに転げ落ちているように思えました。事実、落ちていました。登校すら危ういというのに、周囲のクラスメイト達のように毎日六限授業を受け、試験勉強をし、さらに予備校にも通って……。もう不可能とかそういう次元でなく「あり得ない話」でした。

「退学」という選択肢は、不登校になった頃からずっとありました。今でも唯一覚えている高校時代の記憶は、昼休み、机をくっつけて弁当を食べる女子らを尻目に、別のクラスの男子達とコンビニのおにぎりを囓りながら、「あいつらと同じになってはならない」と自分に言い聞かせている、そんな強迫観念じみたものです。

もちろん、中学からの付き合いの友人や、私を案じる実行委員会メンバー達、そして自然とつるむようになった男子達はかけがえのない存在でしたし、他の生徒達に対しては「彼らは毎日学校に行って授業を受ける」という、自分にはもはや無理になってしまったタスクをこなせるだけで自分より「上」なのだ、という劣等感もありました。

でも、私はもう、違う。

この学校の大半の生徒のように「レール」の上を進んでいくことは、もう私には出来ません。

ではどうするか。

「自分が本当にやりたいことをしたい」

毎日朝まで眠れず、太陽が昇るのを呪うように見ていた私は、その時流れていた音楽、中学の頃から狂ったように、すがるように聞いてきた音楽にその答えを見出します。

NYに行きたい

NYへの憧れは、もう何が・誰がきっかけだったか定かではありません。

不登校になってからますます音楽にのめり込み、音楽のみならず当時の文化なども見聞きするようになって、私は彼の地へ実際に行ってみたいと思うようになりました。アンディ・ウォーホルがファクトリーを開き、ルー・リードが「ワイルド・サイドを歩け」と歌った街に、私も行きたい。

そんなぼんやりとした思いを抱え、学校まで送迎してくれる両親に申し訳なさを覚えていたある日のこと。きっかけは些細なものでした。

クラスで唯一私に優しく接してくれていた女子がいました。何の授業かは覚えていないのですが、私は教科書を持っていなかったので、席の近い彼女に見せてくれないか、と頼んだのです。

「なんで持ってきてないの? やる気あるの?」

彼女は呆れたように言って、冷ややかな視線をよこし、教科書を見せてはくれませんでした。

嗚呼、もうここにいてもしょうがない。

軽く突き放された瞬間、私はぼんやりしていた自分の希望を確固たるものに変えました。

NYに行きたい。

学校は?

せめて高校は卒業しておきたい。通信制の学校を探そう。

英語は?

通信に行きながらどこかで勉強すればいい。

両親は?

死ぬ気で説得するしかない。

決めたら動くのは早かったです。私は親に隠れて通信制の高校への編入方法を調べ、英語学校を調べ、NYの大学に入るためのプランを練りました。そして一学期の終わりに、両親に計画の全てを打ち明け、説得し、「高校は卒業する」という条件の下、二学期から通信制高校に編入することとなったのです。

この話し合いの詳細ですが、記憶にないし、ちゃんとした記録もありません。ただ、「さらば、高校」とだけ書かれています。

しかしまあ、思えば両親にも大いなる不安やそれ以上の葛藤があったと思います。全日制高校を、しかもせっかく入った結構な進学校を退学する、それだけでも大した冒険なのに、その上娘は異国に行きたいなどと言い出したのです。

わずかな記録によると、父は「おまえが楽なように生きろ」と言ってくれたようです。結果的に私の希望を尊重し、実際NYに行かせてくれた両親には、いくら感謝をしても足りません。

もちろん、学校を辞めたからといって病気が治るわけでも、自傷が止まるわけでもありません。しかし当時の私には、何かがむしゃらに打ち込めるものが必要で、たまたまそれが高校生活にはなく、大学受験の勉強でもなかった、というだけの話だったと思います。

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戸村サキ

昭和生まれ、哀愁のチバラキ出身。十五歳で精神疾患を発症、それでもNYの大学に進学、帰国後入院。その後はアルバイトをしたりしなかったり、再び入院したりしつつ、現在は東京在住。

twitter:@sakitrack

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