貧困って、怖い
電気が止まってからというもの、私は月明かりを頼りに、自分が思う「幸せな家庭像」をノートに描くのが日課になっていました。優しく微笑む夫に可愛い笑顔を見せる娘、幸せそうな表情で娘を抱いている私。白い一軒家に柴犬が2匹。現実のものにするのは不可能です。でも、不思議と惨めな気持ちにはなりませんでした。ただただお絵描きをしながら、夜が明けて朝日が昇るのを待つだけで、気力とか、無気力とか、そんな言葉とは遠く離れたところで生きている感覚で過ごしていました。
……そして気がついたときには、電気だけでなく水道、ガスも止められていました。そう、我が家のライフラインが全滅してしまったのです★
残念なことに、あの頃の自分の感情をきちんと覚えていません(笑)。ただの風景として、あわい記憶が残っている程度です。
それにしても、いまになって考えると「貧困」とは、本当に恐ろしいものです。きっかけは、昭和の冷房から平成の冷房に買い替えられないだけだったはずなのに。そのためのまとまったお金がないだけで、電気も止められ、水道も止められ、ガスも止められてしまった。あれよあれよと一気に貧困へと転落してしまったんです。
いったん転落し始めたら、よっぽど資本がない限り、負のループにハマってしまいます。その輪から脱け出すのは、時間が経てば経つほど難しくなる。「反社会的」だと評価をくだされている(元)夫を持つ私は、行政に頼れませんでした。
「自分が選んだ人(元夫)だから、自分で何とかしなきゃいけない」。だから「親を頼りたくない」。「都合の良いときだけ社会を頼っちゃいけない」から「市役所に相談にすら行けない」。誤解を恐れずに言ってしまえば、社会の眼が怖い。普通のレールに乗ってきた人たちからすると、私の存在なんてゴミでしかなくって、何を言われるか分からないし、ただでさえ辛いこの状況でさらに傷つきたくなんかない。
私のようにレールから外れたケースは、“自己責任”と“偏見”に沈められ、一般社会に課題として浮かび上がって来ない。誰に目にも留まらず、ひとりで際限なく堕ちていく。そしていつの間にかその状況に慣れてしまい、「何でこんな生活してるんだろう?」という疑問すら抱かなくなる。だって、それが当たり前の日常だから。
昭和から平成家電に変えたら電気代が半額に
「え? じゃあ、平成の冷房の電気代っていくらなのよ? 沖縄だから夏場は毎月3万くらいかかるもんじゃないの?」
という声が聞こえてきた気がします♡
参考までに、今、上原が住んでいる祖母宅の電気料金を紹介しましょう。平成の冷房2台を昼夜フル稼働させても月額1万5千円くらい。茶色い意地悪な奴(昭和の冷房)から白いスタイリッシュな奴(平成の冷房)に乗り換えるだけで、半額になる。暑くなる4月末から11月頭の6カ月で、約10万円も浮く計算です。……しかも、1台だけなら月額1万円くらいで収まっていたかも。
さて、今回は「昭和家電と貧困」について語ってみました。現在上原は、祖母宅に住ませてもらっているので、以前よりは経済的にも精神的にも余裕があります。だんだん「スッピンサンダルメガネ」だなんていってないで、「今のうちに勉強しなきゃ!!」「いまこそ可愛いを作らなきゃ!!」という気持ちになっています★いつか女の子が好む美容だとか、恋バナだとか、そういった話も拾えるアラサー女子になりたいな〜(笑)。
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