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戦後70年、平和と献身の象徴としての「お母さん」への違和感

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柴田英里

(C)柴田英里

 今年の夏は戦後70周年記念の出版物や映像などが多く発表されており、改めて戦争の悲惨さや、愚かしさを学ぶには好機と言えると思います。折りしも、安保法制関連で戦争と平和に関する議論も白熱しています。

 ですが、個人的には、戦後70周年記念映画として上映された『おかあさんの木』(※)や、先月7月24日の国会前デモ時にSEALDsの女子大学生が読み上げた手紙に、“小さな幸せ”“平和の象徴”として、「家に帰ったらご飯を作って待っているお母さんがいる幸せ」という例があげられりといった、平和の重要性や戦争の悲惨さを「母の献身」というフィルターを通して描くことには疑問があります。

 ※『おかあさんの木』児童文学家の大川悦生が1969年に発表した文学作品を原作に、7人の息子を兵士として戦地に送りながら嘆き悲しむ母親の息子たちへの愛と献身と、平和を願う個人の力は全くおよばない戦争という時代を描いた作品。原作は近年まで小学校の国語の教科書にも収録されていた。

平和は母の献身によって成り立つか

 確かに、「平和記念」の作品として、「母子」というモチーフは定番でした。

 戦後に多く作られた平和記念彫刻は圧倒的に「母子像」が中心でしたし、『おかあさんの木』をはじめとした文学作品にも、「母子の絆」を“反戦”と“平和”への足がかりとして描くものは多くありました。

 それは、男女二元論に基づく性別役割分担を推奨するかのようなものであったり、クリシェ化した「母親」「女性」像であったりと、現代の我々からしたらずいぶん古いジェンダー規範に縛られたものでしたが、「反戦」という大義と、男女雇用機会均等法すら制定されていない古い時代の作品であるということから、不問にされてきた側面も強いものでした。

 しかし、2015年において、平和の重要性や戦争の悲惨さを50年近く前と同様に、いえ、歴史を超えて普遍的な「母の献身」というフィルターを通して描くことが適当でしょうか。少なくとも、ジェンダーの問題を考える上では適切であるようには思えません。

 「ジェンダーの問題と反戦・平和の問題は違う」という意見も当然にありますが、そうした「大義のために小さな問題を不問とする」歴史こそが、現代の若者の口から、「平和」と「母の献身」がなんの疑問もなく関連づけられて語られる下地になっているのではないでしょうか。

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柴田英里

現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。現在、様々なマイノリティーの為のアートイベント「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」の映像・記録誌をつくるためにCAMPFIREにてクラウドファンディングを実施中。

@erishibata

「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」

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