「毒親」という言葉が市民権を得て久しい昨今。この「毒親」を巡って現在、SNS上で活発に議論が交わされています。
発端となったのは元衆院議員で精神科医の水島広子さんのツイートです。該当するツイートの一部は「様々な誤解を招いている」として水島さんによって削除されていますが、そこには「毒親ブームが嫌い」「親がどんな障害をもっていようと子供は許す天才」といった内容が書かれていました。
また今年1月につぶやかれたツイートには
私は「毒親」風潮が嫌いだ。確かに自らが大切にされなかったから子どもに対しても、という人は存在する。でも親は単に発達障害なのに「親と縁を切れ」「「親は自分のトラウマを子どもにぶつけている」と言われて10年以上も親と縁を切っているのを見ると本当に悲しくなる。
— 水島広子 (@MizushimaHiroko) 2015, 1月 8
ともあります。
これらのツイートが「虐待を受けている子供も親を許さなくてはいけないのか」「ただのブームと考えているのか」「毒親と発達障害を安易に結び付けている」といった批判を呼び議論となっています(くわしくは「『毒親ブームが嫌い』『子どもは許す天才』のツイートから始まった、反論と毒親に関する考察」)。
ちなみに該当のツイートを削除した水島さんは「人格障害の毒親と違い、発達障害が原因で結果的に毒親のような振る舞いになってしまう相手なら、距離をとったりパターン分析してうまく付き合える可能性もある、と読んだ」というリプライに、「このように言いたかった」と応えられています。
毒親ブームの功罪と神格化される親子関係
毒親とは、スーザン・フォワードが著書の『毒になる親』(講談社)で使用した、虐待などで子供に悪影響を与える親を指す言葉です。フォワードはこの本で「親のことは嫌いだけど、親だから許さなくてはいけないのではないか」と苦しんでいる毒親被害経験者に「毒親を許す必要はない」と書いています。
親であることや子供あることといった親子関係は「キズナ」としてポジティブに捉えられがちですが、その一方で「しがらみ」でしかないネガティブな関係と捉えることもできます。そして、一般的に「しがらみ」よりも「キズナ」の側面が脚光を浴びがちなために、親子関係を断絶することが困難で、苦しんでいる人も少なくありません。「毒親」ではなくとも、「親子だからこそ」生じる問題で頭を悩まされた覚えは皆さんもお持ちでしょう。だからこそフォワードが「毒親」という言葉を生み出し「許さなくていい」と語ったことが、親子関係に悩まされる多くの方にとって救いになったのだと思います。
ある問題や概念が新しく言葉になると、理解と周知が深まり、社会問題として認知されるようになります。その一方で、言葉が独り歩きしてしまい、具体的に何を指すのかがわかりにくくなってしまうこともあると思います。「毒親」はそのひとつではないでしょうか?
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