「据え膳食わぬは男の恥」という言葉がございます。女性のほうから(おセックスの)お誘いがあったならば、それに乗らないと男ではない、と意味の諺ですが、これは男女の関係性かくあるべし、という一般的な価値観を端的に表しています。そもそも女性が「据え膳」つまりは、食べられる対象であり、そもそもそういうお誘いは女性のほうからはまずないレアケースである、と文脈のなかで生きている言葉です。すなわち、情事の駆け引きをめぐる男女の非対称性が如実に表出されている一文なのです。
据え膳食わないのが「男の恥」なのは、「女性経験の数が男の勲章」的なマッチョな価値観の反映でもあるでしょうが、それだけではありません。そこには、女性からのお誘いが珍しく、また、女性から誘うのは道徳的にも非難される可能性がある(=ビッチよばわりされかねない。つまり女性にとって勇気が要る行為だった)から、その気持ちを慮って、男は誘いを受けてやらなくてはならない、という男性中心主義的な「思いやり」もあるように思います。「女性に恥をかかせてはいけない」から、誘いを受ける。武士の情けでセックスしてやる、的なものすごい思い上がりが、この言葉から感じられます。
一夜の過ちは文字通りリスキー
私がまだ年若く、いまよりももっと傷つきやすい心を持っていた時分に「据え膳」を用意されていたら、「これを食わねば、男の恥だ!」と思って飛びついていたでしょう(『いつ何時、誰の挑戦でも受ける』というアントニオ猪木スタイルで待っていたのにも関わらず、そんな挑戦を受けたことはなかったですが)。
しかし、20代を過ぎて家庭を持ってしまった今になってみると、据え膳が用意されたとしても、まったく飛び付く気にはなりません。なんだかんだ、一度セックスすると面倒なことになりがちですし、リスクを冒してまでセックスをする気にもなれない。今の方が若い頃よりもお金はあるし、素敵な遊びも知っているけれど、ヤッた人数が男の勲章的な価値観にまったく乗る気になれません。
そのうえ、女性が据え膳を用意することも今の時代ではそれほど珍しいこととも思われません。「肉食女子」・「草食男子」という言葉が一般化して久しく、「女性から誘うのは、はしたない」などというヴィクトリア朝的な道徳も若い世代では問題にされることが少ないでしょう。据え膳を食わなくても、男の恥ではないし、失礼でもない。むしろ、武士の情けでセックスする方が失礼であり、たとえその場で一夜限りの関係を持ったとしても、交際に発展させなかった場合、相手の女性から後に「ヤリ捨てされた」「粗チンだった」「クソ男!」等と吹聴されかねません。やっぱりリスキーだと思います。
昨今流行りの恋愛工学に代表されるような「男が女をオトす」というメソッドやナレッジは、旧世界的なものと言うこともできましょう。新世界の男子が学ぶべきことは、望んでない据え膳が来た場合に、上手いことスルーするテクニック、あるいは上手いこと断って、その後の人間関係を普通に、円滑に営んでいくテクニックなのではないでしょうか。
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