カルチャー

「アイドルを消費する」日本に、『マッドマックス』が投下したもの 西森路代×ハン・トンヒョン

【この記事のキーワード】
(C)2015 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED

(C)2015 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED

2015年6月の公開以降、繰り返し上映期間が延期され、いまだ大好評上映中の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』。本作はアクション映画としてだけでなく、奴隷となった主人公のマックスと、「産む機械」として扱われている5人の女性たち(ワイブス)を解放するために立ち上がったフュリオサが、独裁者イモータン・ジョーから逃れるために、男女を越えて連帯しているという、フェミニズム的な視点からも高く評価されています。

一方、『マッドマックス』に対する評価は多様でもあります。例えばライターの西森路代さんは、本作を「男性によるホモソーシャル」ではなく「男女によるホモソーシャル」のようだと考え、社会学者のハン・トンヒョンさんは「女性によるシスターフッド」ではなく「男女によるシスターフッド」であると感じられたそうです。

お二人とも、男女という性別を超えている点では共通している一方で、「ホモソーシャル」「シスターフッド」という視点では違いがあります。この差異は現代社会をどのように見ているのか、から生じているのかもしれません。なぜいま『マッドマックス』のようなポリティカル・コレクトネスな配慮とエンタメが融合した映画が生まれ、これほどまでに饒舌に語られるのか。フェミニズムや韓国映画、アイドル消費など縦横無尽にお話いただきました。

「下から目線」の『マッドマックス』賞賛

―― お二人の『マッドマックス』の評価は、性別を超えた関係性という意味では共通していますが、西森さんは「男女ホモソーシャル」、ハンさんは「シスターフッドを男(マックス)がやっている」という点で、似て非なるものとなっています。まずはハンさんが、主人公のマックスとフュリオサやワイブスの関係をシスターフッドと思う理由をお聞かせ下さい。

ハン そもそもホモソーシャルという概念は、「男性社会」を構成し維持する男性同士の強い連帯関係には、ミソジニー(女性嫌悪)とホモフォビア(同性愛嫌悪)が伴っている、ということを暴くためのものなんですね。つまり、ホモソーシャルの基本的な特徴としてミソジニーとホモフォビアがある。たとえば西森さんが好きな香港映画だったり、みんなが働いている会社組織だったり、一番わかりやすいのは体育会系の部活などのような「男性社会」のなかの男性同士の強い連帯関係は、単に同志的な連帯という以上に、無意識的にであってもミソジニーとホモフォビアを内包しているからこそ強く結ばれた連帯になっており、特権性を帯びている、ということを示すために提唱された概念なんです。『マッドマックス』のマックスとフュリオサの関係は、そういう意味でのホモソーシャルなものにはまったく見えなかったので、西森さんの見方はちょっと違うんじゃないかな、と思いました。

逆にシスターフッドは基本的に、女性解放という目標を共有し、それを目指す女性たちの連帯のことを指します。『マッドマックス』の中だったら、フュリオサとワイブスたちの関係になるかもしれません。彼女たちは連帯して支配者であるイモータン・ジョーに反旗を翻してはいるけれど、ホモソーシャルな関係が持つような特権性や排他性とは縁遠いものに見えました。皆あの社会では相対的には弱者ですし、やはり弱者であるマックスやウォーボーイのニュークスを受け入れていく。だから、フュリオサとマックスの関係も、男女ではあるけど性別を超えた「シスターフッド」だよな、と思ったんです。

西森 私の場合は、これまで香港や韓国の黒社会映画に書かれていたような、男性がミソジニーやホモフォビアに縛られている中で、信頼できる者同士が厚い情で結ばれているという物語を、ある種、消費してたと思うんです。というのも、『マッドマックス』に限らず、映画の中にミソジニーやホモフォビアありきの男社会が描かれているのは「当たり前」だと思っていたんです。むしろミシジニーやホモフォビアのない社会なんてありえないし、それを物語に描くことも不可能だと思ってたんですね。でも、マックスとフュリオサの間には、ホモソーシャルの良い部分……情の厚さや信頼関係だけを抽出したような濃密な関係性が描かれていて、それがまずうれしかったんですね。だから、私にとってはシスターフッドでは語れない部分もあるなと思ったんです。

ハン そういうことなら理解はできます。ホモソーシャルな関係において西森さんが魅力を感じていた情の厚さや濃密な関係といった「よい」部分だけが、それも男性同士ではなく男性と女性との間で描かれていることの喜び、ですよね。私もいいとは思いましたが、男女でも恋愛なしで濃密に連帯できるって、考えてみれば当たり前のことで、それに感激するということは、そもそもの前提の設定が低いってことになるのかな。ヒロインが恋愛する存在としてだけではなく、ヒーローと連帯する対象としてきちんと描かれていることに、女性たちが激しく感動している現状を見ていると、言い方は悪いけど、みんなよっぽど人としてきちんと扱われていないというか、しんどい状況のなかで生きているんだなと思ってしまって、切ない気持ちにもなります。

西森 確かに、これが普通であるはずなのに、普通になっただけで「素晴らしい」って思っている感じはありますね。「下から目線」なんだと思います。

1 2 3

[PR]
[PR]

messy新着記事一覧へ

マッドマックス 怒りのデス・ロード Blu-ray