「人に信用されるには、どうしたらいいですか?」という質問をした無職です。さて、その後、座禅をしたり、何故か仕事をするハメになったりと、自分では想定していなかった方向に連載は転がりだしているわけですが、ふと悩んでしまいます。
そもそも仕事の相談とかをするつもりじゃなかったんです。もっと広く、人生における様々なことについて相談していこうと考えてたんです。実際、人生というのは複雑怪奇摩訶不思議なテーゼにまみれていて、一つの問題が仮にスパっと解決したところで、それで自分の人生オールオッケー! 万事順調ご機嫌ライフって訳にもいかないものです。
ああ、もしそうだったらどんなにラクか。
でもそうもいかないのです。たとえば今回の相談というのがそういう類のものだと思います。「他の色んなことがうまくいったとしても、人に信用されないことにはしょうがない」という悩みなんです。というわけで、頂いたコメントを読んでいきたいなと思います。
・自分にとって、真剣にならざるを得ない場面や相手があってこそ
・こういう嘘つきは、最初は温かい言葉をかけてもらえる→聞いてないし治らない→イラつかれる→ストレス発散に利用され暴言吐かれるの繰り返し人生
・人に信用されるには、信用されるような行動を取るしかないと思います。
・もしかしてADHDもしくはADDだったりしませんか?
・貴方自身で考えて行動しなさいとしか言えないだろう。しょうがない。
・信頼関係って完成品は売ってないんですよ。
・改善方法は、麻薬をやめるのと全く同じで“現実逃避”と“願望”を断つことです。
・社会の中で生きぬきたいと願うとき、人は強さだとか正しさだとかいうものに思いを馳せるものだと思うけど、その答えが勤勉さだったり真面目さだったりするのではないかな。
・方法論というよりもう行動、経験を積み重ねていくしかないんじゃないでしょうか。
・ひとつひとつ「自分だけの結論」には、せめて至って行かないと…
・相手が信用できないから、あなたは距離を置くために、嘘を付く。他者に嘘を付けるから、自分自身にも嘘が付ける。
・反社会性パーソナリティ障害、ではないでしょうか。
・そんな事グジグジ考える前に何でもいいから仕事した方が、よっぽど答えを見つける近道と思う。
・辛いことをなくすのが人生ではなく、辛いことをうまく乗り越えられるようになることこそが、人生そのもの。自分が振りまいたタネは自分で刈り取ってください。
・人格障害か前頭葉に異常があるのでは…お医者さんに行きましょう。
・確かに、脳に機能異常がある人の傾向によく似ていますよね…(アスペルガー!?)。人の話が理解できない、著しく共感力に劣る、など、コミュニケーション障害を抱えているっているのはそれかもしれない。
なんかだんだん、相談内容がどうこうとかじゃなくて、ただの人格攻撃みたいになってきてる気が……しませんか!? というのは置いといて、頂いた回答からエッセンスみたいなのを抜き出してくと、おおよそ次のような感じになる気がします。
・真面目にみられよう、とするのではなくて、自分という存在に対して真面目に向き合う。
・信じてもらうためにはまず他人を信じる。
・病院行け
・働け
「病院行け」と「働け」は、なんだかこの連載での一種の決まり文句として定着しつつありますね。昔、小説家の北方謙三先生がご自身の人生相談コーナーで、「ソープへ行け」と何度も答えていて、やがてそれが氏を代表する名文句になっていきました。同様に僕も、この「病院行け」と「働け」の2つのアドバイスを自分の代名詞にしていけるように、頑張っていきたいところですね……。
ハッ!!
また、やってしまいました。こうやってせっかく頂いたアドバイスを斜に構えて読んでいるうちは、これまでのパティーンと変わらない……。よし、ここはひとつ、真面目にアドバイスを実行していきましょう。
奥山サンデル
しかし、そう、少し困ってしまいました。近場に知り合いが誰もいないんですね。両親は最近、いよいよ冷たくて、話しかけても無視されるようにすらなってきたし、なんだか家の中にはちょっと不穏な空気すら漂っている昨今です。担当編集者を出すのもなんだか飽きてきたし……。
さて、というわけで、今回はミョンちゃんに出てきてもらうことにしました。
僕「真剣に、これからの僕たちの話をしよう」
マイケル・サンデルみたいな口調で僕が言うと、ミョンちゃんは吐き捨てるように返しました。
ミョンちゃん「あなた、このままなんとなく無職つづけて、あわよくば小説で賞でも取って、そしたら私が惚れ直して結婚してくれるかも、そしたら人生おおむね全部ハッピー、なんて考えてるように見えるけど、それムリだよ?」
ずどーん! いきなり胸元にナイフが猛スピードで投げ込まれてきました。ガチ過ぎる!
……なんだっけな。自分に対して真面目になる、か。僕はいったい何を思ってるんだろう? ミョンちゃんに対して。真剣に考えると……結婚したい……ずっと一緒にいたい……いや、これはフツー過ぎるな。もっと深く考えると……。
僕はいったいどこまで彼女に対して真面目になれるんだろう? 考えていると、何かどこか彼女を信用できない、という気持ちがふつふつと湧いてきました。以前頂いた「信用されるにはまず自分から他人を信用する」というアドバイスが実践出来そうにないのです。これまでの付き合いを振り返ってみると……何か、いつ裏切られてもおかしくない、というような感覚があって、心の中に予防線を張らずにはいられない。なんだ、これは!?
いや、僕以外の人って一体実際、そこのとこどうなんですか?
結局……僕たちは約束が出来ないカップルでした。今度の土日、映画でも見に行こうよ、なんて当たり前のような約束が出来ない。いや、しようと試みたことくらいは何度かあったのですが、99%の確率でドタキャンされてきました。ミョンちゃん曰く、約束したときは会いたいと思っているけど、当日になると、会いたいという気持ちがなくなってしまうから、約束なんかしたくないというのです。なんだそりゃ。と普通は思うのかもしれませんが、僕自身その気持ちがわからないでもない。
今日の自分と明日の自分が同一人物である保証なんてどこにもない、だから自分を信用出来ない
のです。細胞も環境も日々入れ替わっていくし、時間はどうしょうもなく人を変えていく。小学生のときの自分と今の自分なんて、かなり違う人間です。指切りげんまんして、愛を誓った女の子もどこに住んでるかわからない、将来の夢なんて大抵誰も叶わない。なら一体、何を根拠に「約束」なんてすればいいんでしょうか。何も誓えるようなことなんて、僕には一つもないのです。……無職だし。
ミョンちゃん「そんなこと言う人と、一緒にいられるわけないよね?」
はぁ…………。何か、なんだか、自分に対して真面目になればなるほど、身勝手な理屈ばっかり出てくるぞ。こんなんでいいのか!? いや……これじゃ単に正直になってるだけだ。正直言うとさ、っていうアレ。
でも、そんなことにたいした意味はないのだ。大事な意味は。暑いとか寒いとか腹減ったとか眠いとかヤリたいとか、そういう脊髄反射でしかない。ああ、それにそうだ死にたいとか言うのもそうだ。脊髄反射が真面目か? そうじゃない。じゃあ、なんだ? 真面目になるってどういうことだ?
真面目に……自分の中のあまりに乏しい28年の人生経験を振り返ってみても、そのほとんどをテキトーに生きてきたせいか、真面目になった場面というのが中々思い出せません。それでも……多分、いや確実に、たった一つだけ真面目に向き合ってきたことがありました。それは、何かを書く、ということです。
四六時中24時間昼夜問わず常に寝ても覚めても書くことだけ考えて生きてるし(金にならないけど)、他の全部がダメでも文章にだけは真面目だと思う。書くことを取ったらもう何も残らない人生。じゃあ……だったら、この経験を、他に生かせないのか? 基本的に、手を抜きたくないし、たとえばこの連載にしても「原稿料が幾らだから時給換算したら幾らでこのくらいの労力が適正」みたいな書き方をしてない。それは必ずしも褒められたことじゃないのかもしれないけど、手を抜きたくない。いつも、こんなもんじゃない、もっと良いのが書けるハズだって思いながら書いてる。ギリギリまでクオリティを上げようとするし……と、ここまで考えたときに、ふと気づいたことがありました。
いや、僕はどうやら……逆に対人関係で常に何らかのコストを見積もっているみたいなのです。
僕は人と関わるときに、見積もりを立てている
その、こんな言い方をすると、あるいは何か金銭的なものを引き出そうとしてる、みたいな風に思われるかもしれません。確かに、昔セフレとかから、ホテル代とか飲み代を出してもらいたくてご機嫌を取り続けた、みたいなことをしたこともありました(完全にクソ男だ!)。
でも、そういうことだけじゃないんです。ある人と関わるのにあたって、ここまでは時間を割いていいな、労力をかけていいな、お金をかけていいな、心を開いてもいいな、気持ちを傾けてもいいな、というコスト感覚が存在するのです。多分、対人関係から得られるものってたくさんあって、あるいはセックスもそうですが、聞きたい情報やノウハウだったり、もっと純粋に、気分転換になるような愉快な会話だったりするのですが、それが労力に見合わないと感じたら手を引く、という思考パターンが僕の中にあるみたいなのです。そういう自分の考えに、今になって初めて気がつきました。たとえ無二の親友がいたとして、ブラジルに住んでいたとしたら、わざわざ出かけて行ってまで酒を飲みたいと思わないような、そういう人間なのかもしれません。『走れメロス』のメロスなんかに僕はなれそうもありません。うわぁ……最悪な人間ですね。
いや、みんながみんなブラジルに行くとは限りませんが。でも金がないとか時間がないとかじゃなくて、コストが見合わない(採算が合わない)っていう考え方が終わってる気がします。
そう、このコスト感覚がある限り、僕は人を根本的に信用することが出来ないようです。というのは、結局、一時的に信頼関係が保たれているように見えても、それは何らかの見返りが継続的に供給されている、ということだけが根拠になってしまっているからです。ギブアンドテイク。それはたしかに、ある意味ではとてもフツーで、生きる上でとても正常な感覚ですが、それを無視しないと先に進めない気がする。
ムツゴロウさんなんか、虎に噛まれても動物を愛し続けているじゃないか! でも僕は犬に噛まれて心を閉ざしてしまう。そうだ。結局、他人の心の中になんか、踏み込めない。だから他人に信用されるなんてことは、方法論を何か確立してみたところで、確率を上げる程度の意味しかない。自分に出来ることは、自分を信じて、自分が信じる自分が、信じると決めた人間を何がなんてもなりふり構わずに信じぬくということが大事なんだ。そこまでしてやっと、人と人が互いに信じ合うという理想状況のための、最低限の条件が用意出来るんだ。
人に信用されるかどうかは、自分でコントロール出来ない。自分に出来ることは信用することだけ。そして、その信頼の担保を、相手からの見返りに求めない。コミュニケーションが手段ではなく目的となるように、好かれるためにとか気に入られるためにとかセコいことを考えずに、ただ一瞬一瞬を勝負するような感覚。手を抜かず、ペース配分せず、常に全力で。それが、人と真剣に向き合うってことなんじゃないでしょうか。
だから僕は、これからはもう時間とか金とか労力とか心のキャパシティーだとか、そんなことをぐじぐじ、ポケットの底の小銭でも数えるみたいに数えるのは、やめるぞ。よし、いくぞ!
「僕たち、出来ちゃった結婚をしよう!」
その瞬間、ミョンちゃんは通話を切ってしまいました。かけ直しても、電話がかかりません。着信拒否をされたようです。でもこんなところでめげている場合ではありません。早速、東京までの夜行バスのチケットを予約しました。実際に会って話せば、きっと僕の誠実な心をわかってもらえるハズです。金は全くないけど、消費者金融にでも行けばまぁなんとかなるでしょう。さぁ、あとは東京に行くだけです。行けばきっとなんとか……。
はっ(我に返る)
これって、もしかして。
僕って。
ヤバい奴……?