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知らぬ間の流血 自傷少女 in 閉鎖病棟

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傷の数だけ理由(ワケ)がある

傷の数だけ理由(ワケ)がある

車の免許を持っていないんですが、東京は都会なので運転の必要がありません。哀愁のチバラキは車がないと生活できない所だったので、今の徒歩&電車で事足りる生活は大変気楽です。原付の免許はもっています。最高速度は20km/h。チャリに追い抜かれる日々でした。ペーパードライバーの戸村です。

イェェエエエエエイ! のっけからアレだがな! 今回は色々酷いと思うぞ! 何故って恐怖の入院編だからな! いけるか! ついてこれるかZEPP TOKYOOOOOO!!!!(ロックバンドのMC風)

……すみません、これくらい気合い入れないと無理です。NYでのワイルド・サイドは、過去二回に書いた通りかなりのワイルドっぷりでした。しかし、それは言ってみれば「鍵の外」の話。今回戸村は「鍵の中」に飛び込みます。この時期のことは未だフラッシュバックを起こすくらいですので、心当たりのある方はくれぐれもお気を付け下さい。

のんびりしすぎている患者たち

前回書いた通り、セラピーで「気を引くために自傷をしている」と言われたことをきっかけに八方ふさがりになった私は、2003年初夏、父と共にNYから帰国しました。私としては「一時帰国」のつもりで、再会する人らには「いやー、今絶賛来日中なんスよー」と言っておりました。

家族も友人らも彼氏・ソラさん(仮名)も、みんなあたたかく迎えてくれましたが、NYのセラピストに境界性人格障害と言われ「全ての元凶はこの人」とされた人物、即ち母親とは、どう接していいのか分かりませんでした。セラピストの洗脳じみた「母親のせい」という言葉、そしてそれを伝え聞いていた母とは、結構ぎこちなくやりとりをしていたと思います。彼女にも相当な苦悩や葛藤、自己嫌悪や罪悪感があったでしょうし、私もそうでした。

家族のことは心から愛しているけれど、今はどんな顔で何を話せばいいのか分からない。彼らも私にどう接していいか分からなかったはずです。

帰国してすぐに、近場のメンタルクリニックに行きました。そして私の自傷の状況や家族との距離の取り方を問題視した医者に、入院を勧められました。紹介されたのは、都内某精神科の「閉鎖病棟」でした。

閉鎖病棟。鍵がかかっている病棟です。患者は自由に外に出られません。

外に出られないのなら本を読んで過ごせばいい。そう思った私は、本をたくさん買ってもらい、MD(MP3? そんなものはない時代だ!)を何十枚も持って、その病院に入院しました。

病棟のエレベーターを上がり、ナースステーションでボディチェックを受け、持ち物は全て開封&確認され、大量の本とMDと共に、私は「鍵の中」に入りました。扉には大きな鍵、易々と破壊したりできないごつい鍵があり、開閉の度に大きな音がしました。

そこは男女混合病棟で、中央にナースステーションとデイルーム、喫煙所があり、そこから病室が左右に伸びている、という造りで、病室の前の廊下はどこか学校の校舎を連想させました。デイルームにはテレビや卓球台、本棚があって、自由時間は皆さんそこでくつろいでいました。新入りの私は、どこから入った情報かは分かりませんが「NY帰りで英語を話せる奴が来た」と何名かに囲まれ、しばし談笑したのを覚えています。

皆さん、予想より「元気」に見えました。ただ「ちょっと『のんびり』しすぎているかな」と思うくらいのんびりしておられました。しかし、私自身がそうであるように、気分の調子には波があります。初日に最も快活に話していた男性が、翌朝声のかけようもないほど暗い表情を浮かべているのを見て「みんな抱えているものがあるからここにいるのだ」と痛感いたしました。

病院での生活は、体温と脈拍のチェックから始まり、ラジオ体操をして、食堂で朝食を摂り、食後の薬を飲む、といった具合に進みました。驚いたのは薬の量です。手のひらに十錠以上渡され、水の入ったコップで飲み込むまで確認されます。「何の薬ですか?」と聞いても答えてもらえませんでした。まあこの辺は病棟・病院次第でしょうか。

昼まで自由時間、昼食の後また投薬タイム、それを経て夕食まではまたフリーです。とはいえ、入院前に想像していたような生活にはなりませんでした。薬の副作用でひたすらダルい・身体が重い・文字が読めない・何もしたくない。そんな状態になってひたすらダラダラと日々を過ごし、初日に皆さんを「のんびり」しすぎている、と感じた理由が分かった気がしました。

夕食とその後の投薬を経て、就寝前の投薬タイムまでまた自由です。私は入眠に問題があって入院前から睡眠導入剤を飲んでいましたが、入院中はほぼ毎晩、右の二の腕に睡眠導入剤の筋肉注射、左の二の腕に副作用止めの筋肉注射を打たれないと眠れませんでした。この筋肉注射、通称キンチューはとにかく痛いです。退院してからもしばらくは両腕に痛みが残りました。

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戸村サキ

昭和生まれ、哀愁のチバラキ出身。十五歳で精神疾患を発症、それでもNYの大学に進学、帰国後入院。その後はアルバイトをしたりしなかったり、再び入院したりしつつ、現在は東京在住。

twitter:@sakitrack

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