連載

知らぬ間の流血 自傷少女 in 閉鎖病棟

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戸村、拘束される

病院には様々な病気の人がいました。鬱病や統合失調症、双極性障害、摂食障害、私には分からない脳の障害、様々な人格障害や解離性障害など、挙げていけばきりがありません。

言うまでもなく、自傷をしている患者さんも多かったです。私の傷痕がかすり傷に思えるほど酷いケロイドが全身にある女性、タバコの火を押し当てた痕がいたるところにたくさんある男性、刃物がないからとテレホンカードで手首を切っていた少女……。

この時期の記憶は、実はまったくありません。だからかすかに脳の奥底に眠る断片的なイメージや親の証言を頼りに原稿を書いているわけですが、うーん、流石は「人生最悪期」、思い出そうとするたびに「やめとけ! これ以上は危険だ!」と理性が警告してきます。親に聞いてみると、面会室に現れた私の足取りは不安定で、目の焦点は定まらず、呼びかけても返事をしない、唇から唾液が垂れていることにも気づかない、尋常ではない様子で、母曰く「廃人ってあんな感じだと思う」だそうです。

「自傷欲」みたいな感情も出ていたと思うのですが、刃物はおろか尖ったものも見つかればすぐさま没収される所です。だからといってフラストレーションがたまったかというと、それも薬のせいかよく分かりません。

実は入院してからほどなくして、私は女子病棟に移されてしまいます。というのもワタクシ、どうやらアメリカナイズされすぎていたようで、NYで身についたくせが抜けず、男性にハグしたり、ついノーブラで室外に出てしまったりしていたんです。恐らく男性患者側からクレームか何かあったのでしょう、ある日医師の診察の際、「女子病棟に移った方がいい」と言われたのです。「そうですか、分かりました、行きますよ」と売り言葉に買い言葉、承諾してしまいました。

女子病棟はまるで女子校のようでした。女子同士のグループ行動があり、派閥がある。もちろん、派閥同士の争いもありました。女子病棟に移ってすぐに、一つのグループのリーダー格だった女性に気に入られ、そのせいで私は、彼女たちと敵対する一派全員に目を付けられてしまいました。ちょっとした嫌がらせみたいな行為も受けましたが、いやはや、女子特有の群れ意識、鍵の中でもめっちゃ発揮されてました。

うーん、この女子病棟には一週間程度しかいなかったので、相部屋の子(中立派)と音楽の話をして仲良くなったことくらいしか思い出せません。自力で思い出そうとすると確実にフラッシュバックを起こして三日くらい使い物にならなくなるのでやめておきます。だったら記録ノートを見ればいい……というわけにもいかず。というのも、あるにはあるのですが「読めない」のです。それは、この時私が体験したふたつの「人生最大のピンチ」と関係があります。

一つは、自傷関連です。ある晩、夕食後の薬を飲むために列に並んでいると、「戸村さん、袖に何かついてるよ」と他の人に言われました。左腕を見てみると、なんか、袖に黒っぽいシミがあります。え、このシミ徐々に拡大してない? え、左腕痛くない?

自室に戻って袖をめくると、あああああ、やってしまった。派手に切っている。例によって記憶はない。刃物は……あ、いつのまにかカッターの刃が……あ、あ、ああ。

無意識とはいえ犯行を認めた私は、ナースステーションに赴き、事情を説明して謝罪しました。すると、「拘束」についての同意書、みたいなものを渡されました。よく分からないままサインすると、「拘束」されました。「自分や他の患者に危害を加える可能性があるので、落ち着くまで『拘束』する」という病院側の対処です。白い革の裏に鎖がついた器具が登場し、「な、なんか凄く色んな所を締められてる!」とビビっていたら注射を打たれ、そのまま眠りに落ちました。これが第一のピンチ。

第二のピンチは、この時期の記録が「読めない」理由です。恐らく薬の副作用だと思うんですが、字が書けなくなってしまったのです。ペンは持てます。自分では書いているつもりです。しかし、その文字は恐ろしく小さく、ラインが入ったノートに書いているのにラインから逸れてぐにゃぐにゃ、なんかもうミジンコぶちまけたような感じ。読め、ない。

これには、拘束よりも深刻な危機感を覚えました。文字が読めないのも辛いのに、今の私から書くことがなくなったら、一体何が残る? 外の両親に泣きつくしかありませんでした。「書けない」ということは、この時の私からすれば「生きない」と同義です。結局、ごたごたしましたが、私は合計一カ月で退院しました。

知らない自分が何かをしている

退院後しばらく自宅で養生していると、入院を勧めてくれた医者が、別の精神科医を紹介してくれました。都内のクリニックまで出向いて診察を受けると、その医者はこともなげに言いました。

「お母さんとの関係は大きいと思うけど、境界性人格障害ではないと思うわ」

え? と思っていると、彼女は続けました。

「症状は解離性障害のようだし、病名ではないけど自我障害っていう概念にも合致するわね」

カイリセイショウガイ……。そういえばNYの精神科医も口にしていた病名でした。

しかしこの医者は病名にはさほどこだわっていない印象で、私は「とにかく自分の全てを否定する」傾向が強い、といったことを教えてくれました。後に、私は外的要因で複数の症状を発症しやすい性質だとも言われました。この精神科医の影響もあり、この頃から私は、「自分は○○病だ!」みたいなこだわりから少し解放されたように思います。

自宅では、家族は私にどう接していいか分からず、望むものがあれば可能な限り与える、要求も可能な限り飲むという状態でした。後に、それが大変だったと聞きました。それでも自宅にいるのが辛かった私は、ソラさんの部屋に転がり込みます。ある夜、基本言いなりのソラさんと共に私の両親と話し合いをし、一応の許可を取ったのです。

ソラさんは社会人でしたから、昼間は部屋にひとりです。これによって私は、今自分で思い返しても空恐ろしいくらいの「自傷最悪期」に突入いたします。

朝起きてソラさんを見送って、テレビを見て笑いながらサクサク切る、ですとか、音楽を聞いていいなぁと思いながらざっくりやる、ですとか、お腹が空いたから何か食べると同レベルの行為として「トリガー(きっかけ)なき自傷」が日常化してしまったのです。

ソラさんはもう諦めたかのように私の自傷を止めようとはしませんでした。それによって「ソラさんの気を引くための自傷」は無効となりました。いくら切っても、ソラさんは私の左腕を見るのも嫌なようでしたし、何を言っても無駄だと思ったのかもしれません。

今思えば彼には酷い迷惑をかけました。いくら「人生最悪期」といえど、この時期の私はまるで二十年間築いてきた倫理観が崩壊してしまったかのような、常識外れな危うい状態でした。そこから三十路の今に至るまで、常識みたいなものをイチから積み上げているような気が今でもしています。

切ってもスルーされる、もしくは周囲が慣れてしまう。この状態になると、誰かの気を引きたくて自傷するタイプの人々には厳しいものがあると思います。気を引くためにはもっと深く切らなきゃとか、もっと酷い自傷をしなきゃとか、そういう負のスパイラルに陥ってしまうことは言うまでもありません。

しかし、私はこの期に及んで誰かの気を引こうとは思っていませんでした。第二回で「怒りを外に向けられないから自分に当たる」と書きましたが、この時期はそれですらなく、ただただ腕を切るという「日常行為」があり、たまにそれに何らかの理由が付加される、そういった感じでした。

また記憶は酷く飛んでいました。気づいたら血まみれのティッシュが山積みとか、気づいたらソラさんの部屋ではなく近所の公園にいるとか、「自分が知らない間に自分が何かしている」という体験は、なかなか想像しにくいものかと思いますが、本当に恐かったです。

自宅とソラさんの部屋を往復しながら、私は自分がこれからどうなるか分からない状態に強い不安を覚えていました。NYに帰りたいという気持ちもありましたが、今の自分にはそれが無理であることも心のどこかで理解していました。

次回はNY時代の友人に紹介されたとあるコミュニティとそこでの出来事、ソラさんとの関係、そして突如決定した一人暮らしについて書いていきたいと思います。自傷行為自体は減少しますが、傷痕によって色々あった時期です。果たして戸村はいつ自傷をやめるのか? もう少しお付き合い頂ければ幸いです。

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戸村サキ

昭和生まれ、哀愁のチバラキ出身。十五歳で精神疾患を発症、それでもNYの大学に進学、帰国後入院。その後はアルバイトをしたりしなかったり、再び入院したりしつつ、現在は東京在住。

twitter:@sakitrack

自分を傷つけずにはいられない 自傷から回復するためのヒント