リボ払い地獄
N「大学を辞めた後、事務バイトをしていた会社に就職したんです。初任給は額面で19万スタート、ボーナスなし、家賃補助なし、交通費支給、各種保険完備という条件で。そのタイミングで会社の人と2人でルームシェアも始めました。家賃は一人4万円。というのも、実家は『学生じゃなくなったら自活しなさい』という教育だったんです。でも、借りた家は2年契約だったんですけど、シェア相手が半年くらいで彼氏出来て出てっちゃったので、ほぼ一人暮らしでしたね(笑)」
――では8万円の家賃をひとりで払うことに?
N「いや、その子は出て行ってからも更新まで家賃は払い続けてくれました。光熱費はもちろん全部自分持ちでしたけど」
――なるほど。となると、【家賃、携帯代、光熱費】を引くと8万円くらいが手元に残りますね。主に何に使ってましたか?
N「自炊は一切してなかったので、外食費ですかね。あとは、クレジットカードの支払いがあって。大学生になった瞬間にパルコカードを作ったんです。大学時代の2年間はお金持ち状態だったゆえに、浪費家だったんです。なので、当時から続くリボ払いのツケを支払ってました」
――リボ払いは一度ハマると怖いですからね。クレジットカードはショッピング利用だけですか?
N「当時はショッピングだけでした。でも、正社員1年目の年に“躁うつ病”っぽくなっちゃって3カ月くらい実家に引きこもったんです。その期間は完全に無給で。でも、家は借りたままなので家賃はかかるし、携帯代に生活費……これら全部をカードで払ってました。その後、復活して元気になってからは、みんなとご飯行ったり、買い物とかもするようになるじゃないですか。今思えば、その時は“躁”だったんでしょうね。お金をバシバシ使っちゃって、キャッシングも始めました」
――負債はいくらまで膨らみましたか?
N「当時は50~60万くらいです。私がもしお酒も飲めて、ブランド物にも興味があったら、この金額じゃ済まなかったと思います。でも、この頃から有給休暇(年10日)を使って国内外へ旅行に行くようになったので、常にマイナス額は変わりませんでした」
――旅行は散財のモトですよね。その会社では昇給しましたか?
N「お給料は1年に1回、2万ずつ上がったんですけど、最後までボーナスはゼロでした。忙しい時期は毎日残業してましたし、プライベートの時間もないくらい大変でしたけど、それ以上に楽しさがあったんです。でも、それがなくなってしまって。社員になって2年8カ月後の、2010年12月で辞めちゃいました。かなり無計画だったのでその後も大変だったんですよ」
ほぼ無給生活
N「漠然と『会社を辞めたら、ゆる~くカフェで働きたいな』と思ってたんです。そしたら、友達に『知り合いでカフェ開店する人がいるから紹介してあげるよ』って言われて、2011年1月からカフェでバイトを始めました。
同じ時期に、面白そうだなって思ってた広告会社が大阪でアルバイトを募集してることを知ったんです。その時にはすでに辞めることは決まっていたので、休みの日に大阪まで面接に行きました。そしたら『え、君東京から来たん?』って感じで採用は保留になったんです。でも、翌年その会社が東京支社を作ることになって、『あ、そういえば東京から面接受けに来た奴いたな』って思い出してくれて声をかけてくれたので、そこでも掛け持ちでバイトしてました」
――どちらも運良くありついた、って感じですね。
N「そうなんです。だから私もノリで働き始めちゃって。それがいけなかったんですけど……。カフェはかなりの時間を拘束されたんですが、2カ月間ほぼ無給で働いてました」
――!!! なぜですか?
N「私が働きだした時は、まだ開店準備期間だったんです。オープンするまでの2カ月間は店内レイアウトやメニューを考えるために拘束されるものの、一銭ももらえなくて。オープン後も、勤務時間に対してじゃなく営業時間しか時給(900円)が発生しませんでした。オーナーと2人で切り盛りしてるお店だったので、開店準備や後片付けや明日の仕込みでも時間を取られるのに、そこは一切スルーで……。唯一の救いはまかないで食費が浮いたことですかね」
――食費がかからないとはいえ……家賃は広告会社でのバイト代で足りたんですか?
N「まったく足りませんでしたよ。その時すでにルームシェアは解消していて、家賃53000円の家で一人暮らしをしてたんですけど、前職を辞める少し前から半年くらい滞納してました。その家では、それまでも振り込みが遅れちゃうことが多々あったんですけど、すごいのほほーんとした大家さんだったので、何も言われなかったんです。なので、そこに付け込んじゃって……。2011年3月に全額返済しました」