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ジェンダー観に起因する生きづらさからの解放が誰にとっても必要だと思う 『女装して、一年間暮らしてみました。』

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『女装して、一年間暮らしてみました。』(サンマーク出版)

『女装して、一年間暮らしてみました。』(サンマーク出版)

 ここ数年、性的マイノリティの話題が多くのメディアで取り上げられるようになった。あわせてジェンダーの問題も注目を浴びつつあるように思う。messyでも、性的マイノリティに関連する記事や、社会から押し付けられている「女らしさ」「男らしさ」を解体せんとする記事が複数ある。

 この「女らしさ」「男らしさ」というのはなかなかに堅固なもので、つい「女/男らしさ」にとらわれてしまう。これが本当に厄介で、自身の「女らしさ」に嫌悪したり、「女らしさ」を否定されるのではと怯えたり、「この振る舞いは批判対象の『男らしさ』じゃないか」と不安になったりするのは誰しも覚えがあるのではないか。もちろん、女性もそうだろう。「女性らしくあれ」という声は、男性である私ですら耳を澄まさなくとも聞こえてくる。性に限らず、規範的な「らしさ」から自由になるのはなかなか難しいのが現状だ。

 2015年4月に『女装して、一年間暮らしてみました。』(サンマーク出版 長谷川圭訳)という本が出版された。これはドイツの作家であるクリスチャン・ザイデルが、タイトルの通り、一年間女装をして暮らしたという体験レポートだ。だがこれはネット上で多々ある、いわゆる「やってみた系」の、奇抜なだけの体験記に留まらない。長年、自分の男性性に疑問を抱いていたクリスチャン・ザイデルが、女装という女性性を纏うことによって、社会の偏見と自身の性に向き合うという、意義のあるノンフィクションでもあるのだ。

 ストッキングに始まり、化粧、ブラ、ネイル、むだ毛の処理、ハイヒールを履いて美しく歩く練習……クリスチャンは徐々に「女らしさ」を纏っていく。女性になりきったクリスチャンは、男性からいきなり腕を掴まれる、尾行される、セックスの話ばかりもちかけられるなどの暴力を日常的に受ける。それだけではない。男性として「男らしさ」を纏ってきたクリスチャンは、漠然と抱えてきた「男らしさ」の生きづらさに気がつくし、あるいはセックスの話を女性とするとき、男性が「先っちょ」しか感じないと誤解されていることを知る。異性間の理解に、すれ違いがあることを気がつくのだ。

 本書は別に「女らしさ」を礼賛するものでもなければ、「男らしさ」をバッシングするものではない。私たちがとらわれ、思い込んでいる「らしさ」が、コミュニケーションをどれだけ阻害してきたかを暴くものだ。しかしだからといって「超性別」とでもいうような、「性別を超えること」を薦めるものでもない。「らしさ」の中の幻想を拭い去って、それぞれと向き合うためのヒントを提示するものだ。とはいえ、そう簡単に「らしさ」は拭えないことをクリスチャンは知る。それは彼が、女装をやめたときの人びとの反応から伺いすることが出来る。でも彼の体験は無駄ではない。女装をやめた今でさえ、この経験は過去形ではなく続いている。

(水谷ヨウ)

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