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自傷痕ってめんどくさい! それでも傷痕を消さない理由

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傷の数だけ理由(ワケ)がある

傷の数だけ理由(ワケ)がある

先日、哀愁のチバラキに帰る用事があったのですが、電車の窓から田んぼが見えた瞬間テンションが上がりました。東京は便利ですが田んぼはなかなかありません。いつまでもどこまでも田舎者な戸村です。

前回は、NYから帰ってきた私が鍵のかかった病棟に入院したことと、そこから出た後の「自傷最悪期」についてお話ししました。都内の「閉鎖病棟」では、母曰く「廃人みたい」になり、挙げ句自傷して「拘束」され、退院して彼氏のソラさん(仮名)の部屋に転がり込むと「トリガー(きっかけ)なき自傷」が日常になってしまいました。今回は、「最悪期」は抜けたけどまだ後遺症があるよ的な、その後の話をしたいと思います。

新しい出会いと隠す傷痕

家族との距離の取り方も徐々に定まってきて、今後どうするか、自分に何が出来るかを考えていた私は、NYで知り合った年上の女性に、とあるコミュニティを紹介されます。そこは留学経験者や留学志望者が集う場所で、英語も話せるので、いつかNYに帰ることを考えても面白そうなところでした。

週に何度かそこの仲間達と会うようになりましたが、私は自傷の痕を隠していました。長袖を着たり、アームカバーをしたり、スポーツ用の肌色のテープを貼ったり。一度、「ファンデーションを塗ると傷が隠れる」と聞いて試してみたことがあるのですが、腕の凹凸がより強調されて見えて、私の傷には向いていないようでした。

コミュニティのメンバーと接するのは楽しかったです。年齢もバックグラウンドもバラバラでしたが、みんな目標を持っていて、何事にも一生懸命で、私は良い仲間達に出会えたな、と思ったものです。

オオカミ少女と10針の傷痕

一方で、彼氏・ソラさんとの仲は冷え切っていました。

退院直後のように部屋に転がり込むことは減りましたが、その代わり会う頻度も下がり、受動的なソラさんから「会いたい」と言われることはほぼなかったです。積極的に活動するコミュニティの男子達を見ていると、ソラさんの受け身っぷりはもどかしいものがありました。

そんな中、事件が起こります。いえ、私が起こしました。

ソラさんの部屋に泊まったある夜、発作的にトイレで自傷したのですが、かつてなく深く切ってしまい出血が止まらなくなったのです。トイレに籠もったまま止血を試みましたが、トイレットペーパーはどんどん真っ赤に。これはちょっと恐い。そう思った私は、寝ているソラさんを起こし、病院に連れて行って欲しいと言いました。

「え、明日仕事だから無理」

そう言って彼は布団をかぶりました。

これは別に、ソラさんが全面的に悪い話でもありません。私はここで彼を責めようとは思っていません。ただ、前回書いたように「周囲が自傷に慣れてしまう」と、こういうことも起きる、という一例として書くことにしました。あまり良いたとえではないかもしれませんが、オオカミが来たと嘘をつく少年の話のような。周囲が自傷を「いつものこと」と悪い意味で受け入れてしまうと、本当に生命の危機にまで及ぶ自傷をした時に、然るべき対処がとられないことだってあるでしょう。

結局私は自宅の両親に電話し、遠方の病院に向かいました。腕に注射を打たれると、どうやら局部麻酔だったらしく痛みが消えました。おじさんの医師が針を手にするのを見て、

「え、縫うんですか?」

と思わず聞くと、

「縫うよ! 自分でこんなに切ってりゃ世話ないね!」

と忌々しげに一喝されました。治療の後、十針縫ったのだと知りました。

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戸村サキ

昭和生まれ、哀愁のチバラキ出身。十五歳で精神疾患を発症、それでもNYの大学に進学、帰国後入院。その後はアルバイトをしたりしなかったり、再び入院したりしつつ、現在は東京在住。

twitter:@sakitrack

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