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【厚木ネグレクト死事件】5歳息子を放置死に至らせた、ひとり親家庭の父親~裁判員裁判を振り返る

【この記事のキーワード】
育てられなかった親たち

Photo by Tom Reynolds from Flickr

 2014年5月、神奈川県厚木市のアパート一室で、死後7年以上が経過したとみられる斎藤理玖(りく)くん(5=当時)の遺体が発見された事件で、殺人罪と詐欺罪に問われている父親の齋藤幸裕被告(37)の裁判員裁判が、9月15日から横浜地裁(伊名波宏仁裁判長)で行われた。

 初公判で検察側は「医師の診療を受けさせれば、救命の可能性があったのに受けさせず、衰弱させた。飢えさせた態様は残酷で、殺意が認められる」と殺人罪が成立すると主張したが、齋藤被告は「私は理玖を殺していません」と殺意を否認し、弁護側も保護責任者遺棄にとどまると主張。理玖くん死亡後に家族手当をだまし取ったとされる詐欺罪については、起訴事実を認めた。

 この事件は、妻に出て行かれて息子と2人暮らしになった夫が、息子を死亡させたものである。上に示す通り、齋藤被告は『(息子が)死んでも構わない』という気持ちがあったことは否定している。

 現代日本において育児をするうえで、私たちが直面するかもしれないいくつもの苦境。直接は関与しなくともすぐ隣の住宅で、子供の同級生の家庭で起こるかもしれない問題。そしてその背景に何があるのか。どうすれば良いのか。こうした様々な重要事項を、筆者は本事件の裁判傍聴を通して読み取った。知れば知るほど、この事件が極端に逸脱した親の例に過ぎない、などと簡単に片付けることはできないのではないかと思えた。確かに齊藤被告は「逸脱」している。では、「逸脱」した親のもとに生まれた子供は、ただ黙って死ぬまで、あるいは成長し自立するまで、そこで耐えるしかないのだろうか。

 今回、9月24日に行われた被告人質問をリポートする。そこから見えるものを考察していきたい。

行政への相談は「考えなかった」

 齋藤被告は妻との間に2001年5月、息子の理玖くんをもうけたが、2004年10月頃、妻が失踪。被告は当時3歳の理玖くんの育児と、生計を立てるための仕事を、1人でせざるを得なくなる。トラック運転手として週5~6日勤務し、仕事に出かける前と帰宅後に理玖くんに食事を与えて過ごす。ひとり親家庭であるため、手続きをすれば優先的に保育園に通わせられたはずだが、保育園には通わせず、被告は3歳の子供ひとりで留守番させる選択をした。その理由については後述する。

 妻の出奔から約1年後、被告は別の女性と付き合い始め、自宅滞在時間が減っていった。起訴状によれば2007年1月中旬頃亡くなったとみられる理玖くんの遺体は、2014年5月30日、本来であれば13歳になるはずの誕生日に発見された。児童相談所から「所在不明の児童がいる」との通報を受けた厚木署の署員が勤務中の齋藤被告を呼び出し、自宅に入ったためだ。部屋の雨戸は閉め切られ、電気やガス、水道は止まっていた。齋藤被告は理玖くん死亡後、ほとんど自宅に寄り付かなかったが、部屋の賃貸契約は結んだまま家賃を払い続けていたという。被告人質問直前に行われた神奈川県警警部補の尋問によれば、事件発覚後の部屋からは、ゴミ袋96個分のゴミが、運び出されている。

 法廷に現れた齋藤被告はスーツに坊主頭、背筋を丸めて証言台の前に座り、ボソボソと、そして淡々と自身の育児の実態を明かしていった。

弁護人「理玖くんは亡くなるまでずっとオムツをしていたんですか?」

齋藤被告「そうです」

弁護人「オムツはとれてなかったんですか?」

齋藤被告「とれてなかったです」

弁護人「また、理玖くんのおしゃべりについては、どういう言葉を喋れていましたか?」

齋藤被告「パパ、ママ、……あとは、これ、とか、そういう……限られた言葉しか喋れていませんでした」

弁護人「亡くなる直前も?」

齋藤被告「そうです」

弁護人「『パパ、おはよう』とか『おいしい』とかも?」

齋藤被告「なかったです」

 死亡推定時期が5歳とされる理玖くんだが、当時もオムツが外れておらず、片言しか喋れなかったという。多くの育児書には1~3歳でオムツからパンツに移行しトイレでの排泄をするよう指導することが望ましいと書かれている。言語の発達は個人差や障害の有無などもかかわるが、「パパ、おはよう」といった二語文は2歳ぐらいの子供に多いそうである。一日中家の中にいた3歳~5歳までの間、理玖くんが言葉を覚える機会やトイレでの排泄を学ぶ機会はなかった。

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