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「接客は苦痛だけど、まだ辞めたくはない」有名アパレル・副店長(26)の給料明細

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 現代社会を生き抜くリアル・ウーマンたちのどこよりもリアルな財布事情に迫る『女の給料明細』。

 今回は、人気アパレルブランドの都内一番店にてサブ店長を務めるKさん(26)にお話を伺いました。Kさんは都内私立大学を卒業後、現在の会社に新卒入社した社会人4年目です。大学1年生の頃からアパレル店員のバイトをしていたKさんは、今年で販売員歴8年目。「薄給」「休みが少ない」「残業当たり前」のアパレル業界ですが、「まだ辞めたくない」と踏ん張るKさん。アパレル店員の給料明細に迫ります!

――大学生の頃からアパレル店員としてバイトしていたとのことですが、当時の収入と支出を教えてください。

K「当時は週4~5日ほど働いていました。でも時給が850円と安かったので、大体10万円、多い月で12万円の収入でしたね」

――大学生ならもっと稼げる仕事もありますよね。どうしてそのバイトを選んだんですか?

K「私は私服通学の高校に通っていたので、毎日コーデを考えているうちに自然と洋服が好きになったんです。なので、高校卒業後は服飾の専門学校に行こうと思ってました。でもうちの高校は進学校だったので、先生に『あり得ない』『大学行ってから考えなさい』って反対されて。だからそんなに勉強しなかったんですけど、とりあえず大学入って、専門行けなかったし、せめて服屋で働きたいって思ったんです」

――お金には変えられないモノがあったと。

K「そんなカッコいいものじゃないですけど、楽しかったんです。気付いた時には4年間ずっと働いていて、バイトが趣味みたいな生活でしたね。そんなに大きいお店じゃなかったので服とかバッグのデザインをさせてもらったり、バイトの繋がりで出会っった美容師さんには、何度もモデルとしてヘアショーに出させてもらうこともありました……改めて言葉にしてみたら、お金には変えられないモノがあったみたいです(笑)」

――なかなかできない経験ですね。では、当時のお給料は何に使っていましたか?

K「服代、携帯代、食費、遊び代にすべて消えてました。家にはお金入れてなかったですし……というか、いまだに実家暮らしのくせに1円も入れてないんですけどね。当時は交通費も親負担、生活費も足りなくなったらちょこちょこ借りてました。『借りてた』と言っても返てないんですが。なので、大学時代はそんなに困ってなかったですね」

――クレジットカードは?

K「大学3年の時に学校主催の交換留学に参加して、アメリカへ行ったんです。その時にクレジットカードを持ってない人は作らなきゃいけなかったので、学校で申請してDCカードを作りました。アメリカではクレジットカードを持ってたほうが何かとスムーズだし、現金持ち歩くより安心だって言われて。日本ではほとんど使ってないですけど、なぜかいまだに持ってます。解約するのが面倒くさくて、期限が切れるのを待ってます」

アパレル企業には絶対に就職したくありませんでした

――大学卒業後もアパレル企業に販売員として就職されたと。いろんな選択肢がある中で、どうして今の仕事を選んだのですか?

K「就職活動を始める時に『広告業界で働きたいな』と思って、広告会社を10社くらい受けました。というのも、販売員を4年間やって接客が嫌になっちゃって、『アパレルでは絶対働きたくない!』って思ってたんです。でも、自己分析したり何枚も履歴書を書くうちに『今までの経験を利用しない手はないのかも』って思えてきて。一応アパレル企業も3社だけ受けました。そしたら、広告もアパレルも全社落ちたんです。『えっ、どうしよう……!』って絶望していたら、最終面接で落ちたはずのアパレル会社の人事から電話がかかってきて『本当に異例なんですけど、もう一回最終受けてみませんか?』と言ってくれたんです。嬉しすぎて電話で泣きましたね。『まじで受けさせてください!』って迷わず悲願しました。

実はその会社の最終面接を受けた時は、広告会社の最終選考にも残っていて、余裕かましてたんです。なので対策もそこそこで挑んでしまい、社長に対してあまり上手くしゃべれなくて……。でも、その人事は一次面接、二次面接の私を見て、『私を採用したい』って思ってくれたらしくて。たくさんの企業から不採用通知が届く中で、唯一求めてくれたのがアパレル――この電話が来た時に『私には服しかない』って思いました。その後は死ぬ気で対策をして、見事内定をいただけました。ちなみに同期30人中、二回最終面接を受けたの私だけです。その人事の方には、いつまでも頭あがらないですよ(笑)」

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