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あいのり桃がアピールする「凡庸と努力」こそがアンチを生んでいる

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柴田英里

(C)柴田英里

 messy の、『「人妻なんだから出歩くな」「旦那いるのに遊びすぎ」あいのり桃へのバッシングは女全体を締め付ける』という記事を読みました。「自分とは違う人」「自分にはおかしく見える人」を許容する心の広さを持てないものか。という記事の主張には全く同意ですし、世の中の「人妻は家庭にいるべきだ!」というような性別役割分担に基づく抑圧はすさまじいものがあるように思います。

 ですが、あいのり桃へのバッシングは、その限りではないと私は見ています。あいのり桃が叩かれる一番の理由は、そういった保守的で異端を排除する村八分思想や「模範的な主婦らしい行動をとらない女性を、模範的な主婦らしい行動をとろうと努める女性たちが叩く構図」ではなく、彼女こそが「保守的でありながら保守的行動をとらない」という大きな矛盾を抱えているから、ではないでしょうか。

泣くほどスッピンを見せたくない桃

 私はテレビ番組『あいのり』のファンでもありませんでしたし、桃のファンでもないので、彼女については、「有名な一般人ビジネスの成功例」、「普通であることコンプレックス商法の人」くらいしか認識していなかったのですが、昨年、桃が歌手のGILLEのミュージックビデオ「Try Again 桃(ブロガー)編」に出演した際に興味がわきました。桃は撮影でスッピンを披露する予定になっていたものの、「スッピンを見せたくない」と撮影中に号泣したため撮影が中断したというのです。

 まず第一に、「泣くほどスッピンを見せたくないのならスッピンを見せる仕事を引き受けなければ良くないか?」という素朴な疑問を持ちました。そもそも私は、「自分の顔が嫌で泣く」ということもよくわかりませんでしたし、「泣くほど嫌な顔なのに美容整形することを頑に拒む」理由もわかりませんでした。さらに、泣くほどスッピンの顔が嫌なのに、「“半顔メイク”という、(泣くほど嫌な)スッピンとメイク後の落差を強調すること」を繰り返し披露していることもまったく理解不能だったのです。

 確かに、『人は見た目が9割』というタイトルの新書が大ヒットする程度には「外見」は世間で関心を持たれているものですし、私自身、身綺麗な格好で外出する時と小汚い格好で外出する時では、お店の方の対応なども違うと感じることがあります。美術作品の展示前に泥まみれ絵の具まみれの汚いジャージと顔でスーパーに行ったら、レジの方にホームレスと間違えられて嫌な思いをしたこともあります。

 ですが、「ブスだから公共交通機関が利用できない」とか「ブスだから公園のベンチに腰掛けられない」とか、そういう差別は、当たり前ですがありません(あれば大問題ですが)。美醜に執着せずとも楽しく生きることは可能ですし、人間には容姿に執着して生きる自由も容姿に執着しないで生きる自由もあります。

 「ブスだからつらい」という言葉の「ブス」が示す本当の意味は、しばしば隠蔽されますが、様々なバリエーションがあると思うのです。たとえば、

「ブス(=自分の理想の顔と現実の顔の落差に落ち込む)だからつらい」
「ブス(=本当はみんなにちやほやされたいのにそこまでかわいくない)だからつらい」
「ブス(=お店の人や道ゆく人に不当な扱いをうける)だからつらい」

 この3つでは、意味することはまったく違いますよね。

 とりわけ、「本当はみんなにちやほやされたいのにそこまでかわいくない」などの、「容姿の良さで多くの人に承認されること」を目的とする場合に、「ブス」という言葉の示すものは最もぼかされます。

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