タイトルがなにやら不気味でついつい目を通してしまったトピ。トピ主は昭和22年生まれの男性。旧家の生まれであり、地域貢献の為の事業は、専門職に就いていることもあり畳んだ。4歳下の妻は私立高校の教員を1年勤めたのち、23歳のときにトピ主のもとに嫁いできた。
「敷地内同居で子供たちの進路にまで口を出す厳格な両親の下、苦労させてきたと思います。一方私も子供が小さいうちは特に、妻の実家に往復数時間かけて、週末はなるべく訪れるなど、妻の要望を叶える努力はしてきた。妻は子供たちが大学生になって、やっと始めた臨時の教職を、私の親の介護のために辞めました」
トピ主の両親を看取ったあと、妻は『ハツラツと生きる輝き見せた』という。その後、トピ主夫婦の長男が結婚した。ところが……。
「妻は自分が当然してきたように、息子の嫁からしてもらうと考えていました。私も妻以上にそう思っており、お嫁さんに指示した記憶があります。しかし、お嫁さんに間違いを指摘され、一切相手にされなくなり、最初は怒りがあったものの、友人の話を聞いたり、パソコンで情報収集してみればなるほど、自身の時代錯誤を哀れに恥ずかしく申し訳なく思うようになりました。息子は今思えばお嫁さんより早くにとっくに私共を見切っています」
ってこれ単に、姑が暴走して、嫁と揉めるどころか長男からも見放されてるって話なんじゃないですか? しかもトピ主すらちょっと見放されてる系? 再び、ところが……。
「妻は未だ間違いを認めていません。時代が違った、私も妻に同じ事を強いてきた。どう言うこともできません。認め詫びて謙虚にならなくては晩年は孤独でしょう。下の娘も春に海外転勤しましたが母である妻の干渉を逃れる術であると思います」
なんと自身の娘すら妻の過干渉から逃れるため海外転勤してしまったという。奥さん、義両親が亡くなるまでの間、相当ガマンにガマンを重ねてきてたんじゃないの? そのストレスが娘や息子への過度な期待や干渉と姿を変えていて、結果的に孤独に……。
「妻は自身の善性を一切疑っておらず、自我も強いため、改める余地がございません。小さき器で、はち切れんばかりの命を燃やす幼き子のようで、その様は一切の罪がありません。
私に尽くし尽くして、老いてしまった愛し妻に、どうしてやれば良いものか」
って知らねーよ! まあ今さら、妻の過ごしてきた歳月は戻らないし、老後なんだからトピ主と妻で寄り添ってやっていけばいいんでないの? 「私が生きているうちは良くとも残される妻が心配です」と言うがそれはもう、子どもや孫に会えないのは残念だろうが、孤独な老後を送ってもらうしかない。コメントは意外にも? 嫁世代、トピ主世代などから具体的なアドバイスが寄せられた。
「ずーっと尽くすことが当たり前になり、子供の成長という形でしか自分の存在意義や達成感、満足感を味わえなかったのではないでしょうか。仕事って感謝されたり達成感ないとやってられないですよね? だから子供に執着するのです。子供と関わり、嫁を従属させることで満足感を得ようとするのです。あなたが感謝し、彼女の話を聞き、傍に寄り添うことで奥様は初めて自分を見つめることができるのだと思います」
なるほどなあ。当時は寿退社も多く、夫と家族を支える事が人生の全てだったという女性が大勢いたのではないか。自分の人生でできないことや、こうしたかったという願望を家族という他者に投影させることで自己実現してきたのかもしれない。自分の人生を生きる事ができなかった、この世代の女性たちには、他者、特に同性が自分の人生を謳歌していることへの嫉妬や怒りもあるのでは。ここに現在の嫁姑戦争や毒親問題の元凶がある気がする。
(ブログウォッチャー京子)