嫌いなところを教えて下さいと質問したら、あたたかいコメントが寄せられる。かと思えば、死にたいと言ったら、猛烈に叩かれる。わかりました。みなさん、ツンデレっていうより、単なるあまのじゃくなんですね……。
というわけで早速コメントを読んでいきましょう。
・どこが嫌い?って今更他人に聞く所が嫌いです。治す必要ないですよ。時間の無駄です
・自分以外の人間を薄ら寒いクソバカって見下してるからでしょ。自分でも自覚してるクセに。本当メンドクサイ男だね。
そういう……ミョンちゃんみたいなことは言わないで下さい!!
・人をイラつかせて、意味の分からない優越感を撒き散らす自分の性格と向き合っていくしかないですね。
僕の優越感は、劣等感の裏返しなんです。
・自分以外の周りの誰かの事はわかっていないようでわかっている。わかっているようでわかってない。だから周りから自己中心的といわれたり見下してると言われたりするんです。
自分以外の人間が何を考えてるかなんて、僕は全然わかりません。もしかしたら、この世界で生きて悩み苦しみ考えているのは僕だけで、他の人たちは実は生きていなくて、人工知能か何かなんじゃないか? という気が最近してきました。一体全体、自分以外の人間が本当に生きてるって、どうやったら確認出来るんでしょうか?
・ささやかな事、日常的な地味な事は、『自分の理想的な自我にふさわしくない』と思っているのです。そういった類のあなたのなにかが、言葉の端々から感じられてしまうからではないでしょうか?
だって、文章を書く以外の全てのことが、なんだかムダに思えてしまって……。
・他人をちょいちょい馬鹿にする所かな。周りに尊敬できる人はいますか?トータルじゃなくても、この人のこういう所はすごいな、と思ったりしますか?そして自分がそうなるように努力していますか?
だって、誰と話していても、つい「お前なんかドストエフスキーの百万分の一だぞ」って考えてしまうんです……。死んでる人しか尊敬出来ない。生きてる人はみんなバカに見えてしまうんです……自分も含めて。
小さな幸せを大事にしてみた
まとめると、以下のような感じでしょうか。
・他人を見下さない
・日常の小さな幸せを大事にする
・身近な人を尊敬する
せっかく頂いた助言です。このあたりを大切に守って、これからは丁寧に暮らしていこうと思います。
ふと外を見ると、冬ですが窓の外は日差しが暖かでした。家の中に引きこもっていてもしょうがない。僕は何の当てもなくぶらぶらと外に出かけました。
ポカポカ陽気に照らされて、心なしか道行く人々の顔も穏やかです。太陽の光を浴びることが、こんなにも気持ちの良いことだなんて、今の今まで知りませんでした。そこそこ忙しい日々の中で、僕は何か大切なことを見失いかけていたのかもしれません。
しばらく歩いていると、公園にたどり着きました。僕はベンチに腰掛けて、手帳を開きました。今感じたこの幸福感を書きとめておこうと思ったからです。
とりとめのない言葉を書き連ねていると、ベンチに座る僕の横におじいさんが腰をおろしました。目が合うと、おじいさんが僕に声をかけてきました。
おじいさんは昔、某有名商社で働いていたらしいのです。すごいですね、と僕は小一時間ほど相槌を打ち続けました。話は盛り上がり、話題はおじいさんの家族や友人にまで及びました。おじいさんは満足そうな顔で微笑み、帰って行きました。
またしばらくすると、公園でサッカーをしていた子供が、足をひねったらしく、青い顔でうずくまっていました。かなり調子が悪そうです。僕は駆け寄り、「大丈夫?」と声をかけました。聞くと、みんな携帯電話を持ってないらしい。そこで僕はケータイを貸してあげて、家族の人に迎えに来てもらうよう言いました。子供は僕の言った通りに電話して、家族が来ることになったようです。子供たちが、「ありがとうございました!」と揃えて言う声に見送られて、僕は公園をあとにしました。心の中がほっこりと暖かくなりました。
そしてまた、ぶらぶらと歩いてると、今度は立ち飲み屋に出くわしました。ふらりと中に入り、僕はなんとなく店の名物だという超巨大ビールをいきなり注文しました。ウケました。常連らしき人たちに僕の方から話しかけて、輪の中に混ぜてもらいました。すっかり盛り上がり、気づけば飲み代を全部奢ってくれる豪気なおじさんまで現れました。僕は感謝して、夜遅くに帰宅しました。
帰宅すると、午前零時近いというのに、お母さんが起きていました。「書き置きもなく出かけるから心配してた」だそうです。僕もいい年なのに……と思いましたが口をつぐみ、「ありがとう、そしてごめんなさい」と言いました。
それから自分でお湯を沸かして、カフェインレスのコーヒーを淹れました。近頃はダイエットが習慣化し、タバコもカフェインもセックスもやめて暮らしています。獣じみた欲望を絶ち、穏やかに健やかに生きていきたいと感じたからです。あとは酒をやめれば完璧ですが、これがなかなかうまくいきません。今夜も少し飲み過ぎてしまいました。
寝る前に、ベッドでデカフェのコーヒーを飲みながら、なんとなく聖書を手に取りました。子供のときにひととおり読んだことはありますが、ゆっくり再読してみようと考えたのです。パラパラと聖書特有のとても薄いページをめくると、とある懐かしい一節につきあたりました。
「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」
誰でも聞いたことくらいはあるような、有名な言葉です。でも、これが心にじわりと染み入ってきました。そうだ。僕は慈しみ深く、全ての人のことを愛し生きよう。そう思いました。
それから僕はベランダに出てコーヒーカップを叩き割り、大声で叫びました。
「やってられるか!!!!!!!!!!!!」
A CLOCKWORK ORANGE
こんな、こんな原稿の何が面白いっていうんだ!? 僕自身書いてて吐き気がするくらい退屈でしたよ!
公園のおじいさん、老人になっても会社の名前に縛られてんのか? 男ってアホだな。ガキは僕にケータイの通話代金を支払ってください。それから、僕は休日に立ち飲み屋で飲んでるような人種が嫌いなんですよ! 反吐が出そうだ! お前らみんな、ドストエフスキーの百万分の一の価値しかないんだからな!(スリッパを床に叩きつけながら)
いやいやいやいや……なんて言ってたらまた元の木阿弥です。友達が欲しいと相談して、結局のところ「友達なんかいらない」と言い出したり、なんだかんだと。僕はそうやってこれまで、読者のアドバイスを無下にし続けてきました。でもそろそろアドバイスを参考に経験したことを踏まえて、どうすればいいのかを考えなくちゃいけない。そうじゃなきゃ連載してる意味がありません。
どうやら僕は小さな幸せを大事に出来ないようです。それはわかり過ぎるくらいにわかりました。もう諦めます。でも人を見下さない、身近な人を尊敬する、これは出来るはずです。
でもちょっと待ってください。よく考えたら、そもそもみんな僕のこと見下してるじゃないですか! 見下したり、見下されたりするのがむしろ自然なんじゃないですか?
……というか、そもそも僕はなんで人を見下してしまうんでしょうか。一体いつからなのか……さかのぼってみると、どうやら物心ついたときから僕は人を見下していたようです。とはいえ、こんな僕だって身の回りの人を尊敬したことが全くないわけではありません。ただ、徐々に幻滅するようになり……ああ、そうか。
僕は幻滅するのが怖いから身近な人を尊敬出来ないんです。
だったら、期待値を思いっきり下げればいい。
なんだ。しかし、こんな簡単なことだったのです。
過大な期待をしてしまうから、がっかりするだけ。
三日前にこの悟りに至り、それから僕は生きてる人全てを凄いと思うようになりました。今までより少しだけ、人に優しくなれているような気がします。穏やかな気持ちで人に接することが出来ています。
人は生きてる限り過ちを犯し、間違えてしまう生き物です。でもそれは僕も同じ。互いに許し、思いやることが大事なのではないでしょうか。
と、そんなどこかで聞いたような理屈で、自分をセルフ洗脳することにしました。
そうして日々は穏やかに過ぎていきます。近頃は僕も毎日ニコニコしています。両親とも笑顔で会話し、飼い犬のエヴァに手を噛まれても、笑っています。
怒りに似た感情が湧き上がりそうになるたび、自分に、何度も諭すように言い聞かせます。
こんなもんさ、なにごとも。
大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫。僕は正常です。
僕の心は穏やかです。もう死にたくはありません。