インタビュー

あなたを受け止めてくれる横道は、この世にたくさん溢れている。女が「ふざける力」を発揮する方法

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ふざける力 (コア新書)

ふざける力 (コア新書)

 恋愛もセックスも結婚も出産も、「女性として絶対にしなければならないこと」ではない。しかしどういうわけか、ほとんどの女性たちが半ば脅迫的に「しなければ……」と焦らされている。しなければ死刑とか罰金とかそんな決まりもないのにだ。

 セックスをしてキレイになろう、恋愛しないなんて女捨てちゃダメ、40過ぎても結婚をあきらめないで! なんのためにこうしたコピーが躍るのかといえば、それは女性個々人の幸せのためなどではなく、ひらたくいえば世の中の経済的な事情である。

 そして結婚のための恋愛、あるいは婚活。“女として”自信を持つための「愛され」、セックス。自分の頭で冷静に考えてみれば、熱狂から飛び出すこともできるはずだが、群れからはぐれるのは怖い。正義を振りかざし他者を糾弾する匿名の罵倒が絶えず繰り広げられる現代社会では、迷子になるどころか迫害されそうで。

 殊に結婚や出産は社会的な幸福のイメージを帯びていることで、それを果たさぬことは育ててくれた親に申し訳ない、なんて気持ちを持つ女性も少なからずいる。みんな真面目であると同時に臆病なのだ。逸脱を恐れている。

 さて話は変わるが、12月3日に発売された新書『ふざける力』(ワクサカソウヘイ/コア新書)が評判だ。著者は気鋭のコント作家にして芸人、様々な媒体でいくつもの連載を抱える売れっ子コラムニストでもある。

 「ふざける」ことが人間にとってなぜ必要なのか? 同書では“無意味に”家賃格安の鳥取と東京とを往復して生活する著者の体験談、コント作家としての職業論などを交えつつ、真面目すぎる私たちに「ふざけようよ」と説いていく。かいつまんで言えば、「転職しようよ」「趣味を持とうよ」「楽しいことをやるべきだよ」。

 だが同書には、仕事や学校といった「構図」から逸脱するリラックスした生き方を繰り返し説く一方で、「恋愛」「結婚」「自ら築いた家庭」などの構図で絡まっている人への言及はまったくない。「ふざけることこそが最大のリスクヘッジ」とし、「『まあ、いまいるこの構図も、この広い世界の中のたったひとつの構図に過ぎないもんな』と、現状に対しての執着を捨て、ふざけた気分で世の中を見渡してみましょう。そして、新たな価値観を探してみるのです」(p.45)とあるものの、じゃあ「出奔しちゃおうYO」「育児放棄イェー!」「介護やめちゃえば?」なんてふざけきった言葉はさすがにない。というか、著者はそのあたりの諸問題への言及を意図的に避けているようにも思える。

 では32年間「ふざけて」生きてきた「ふざけの国の住人」を自認するワクサカさんは、これら諸問題についてどう考えを巡らせるのか? 同書の編集を担当した辻陽介さんにも同席してもらい、ワクサカさん本人に聞いた。

恋愛も結婚も無意味

ワクサカソウヘイ

ワクサカソウヘイさん。うつろな目をしていますが元気いっぱいです。

――ワクサカさんは小学生で登校拒否児になり(教室という構図からの逸脱)、大人になって就職した職場を気が狂ったフリをして退職。コントを書いてアバウトな価格設定で芸人さんに売ったり、コラムを書いたり、自ら芸人として舞台に立ったり、東京に実家も仕事もあるのにわざわざ鳥取に家を借りたり、林檎の収穫を手伝ったり、いろいろな「ふざけ」をしていらっしゃると。嫌な職場を辞めたいときの「気が狂ったフリ」って、ハードル高いですよね。「口から泡を吹いて倒れる」という仮死状態をワザと演じたとか。口から泡を吹くのってどうやるんですか?

ワクサカ まあ、そんだけ追い詰められたってことなんですけど。泡吹くのは、練習すれば出来ますよ! 口の中でね、汚い話ですけども唾液を溜めてこう、舌で掻き回して……。

――実演はいいです。『ふざける力』、興味深く拝読しましたが、全体的に仕事に悩むシングル男女向けのアドバイスが多いように思いました。恋愛系や既婚者に向けた「ふざけ」を扱わなかったのには、理由があるんですか?

ワクサカ 本当は恋の章もつけたかったんですけど……あまりに字数が多くなっちゃうので止めたんですよ。
理由を作った時点で恋は終わりじゃないですか。恋愛も結婚も、無意味でふざけたものであってほしい。中島らもがね、「結婚とは恋愛という詩から生活という散文へと下ることである」って。いいこと言うなって思って。

――どういうことでしょう?

ワクサカ 詩って意味ないじゃないですか。で、恋って、基本は意味がないものが1番楽しいですよ。恋愛が結婚の前戯だっていう考え方は主流ですけど、たとえば高校生が言う「いつか結婚しようね」ってセリフには、純然な無意味の上に成り立っている、ときめきが含まれているわけじゃないですか。

――めっちゃ楽しいやつですねそれ。

ワクサカ これが29歳の男女が「結婚しようね」って言うのはもう、全然無意味ではない。もう、「意味含有率」が濃い。ときめきも含まれているかもしれないけど、リアリティのほうが強すぎるから。その時点からそのカップルには結婚するための段取りが発生してしまって、で、「結婚に向かう理由」としてのデートやあれこれをするに至ると。

――婚活ってどう思いますか?

ワクサカ “婚活”って言った時点で負けだと思う、意味つけちゃダメ、そういうのって。

――お、手厳しいですね。

ワクサカ 「恋が出来ない」というのは基本的に、「今の自分のいる場所にたまたまいい出会いがない」という状態を指しているだけなんだと思います。じゃあもう、その場所には「恋愛相手」として見える相手がいないんだから、ありきたりですけど違うとこ見てみなよ、っていう。「だから婚活パーティーに行くんじゃん」って人もいるかもしれないけど、もう“婚活”って意味がついちゃった時点で、そもそも本来、恋が持ってる楽しさ・ときめきっていう原始的な感覚が完全に無視されちゃってますよね。

――誰かに惚れたときって、好きな理由が明確に分からないですもんね。金とかポジションの安定とかで「好き! 大好き!」とは思えない。「女は金さえあればどんなキモい男とも結婚するだろ」って言う人たちもいますが、私はそんな忍耐強い生き方はできません。

ワクサカ 恋愛はフッて通り抜ける風みたいなもので、いつかは終わるんですよ。なんか急に銀色夏生みたいなことを言い出した自分に驚いていますけれど。最初は意味も無く、風が通り抜けるように始まるのに、やがて「意味」を持ってしまう。で、意味を持った時点でゆっくりと終わっていく。
「無意味な恋愛の風」に当たりたいんだったら、婚活なんていう、最初から男女お互いに意味のある出会いをしようとしてる場に行ってはいけない。
やっぱりフワーって結婚式の二次会くらいで会うのが一番いいですよ!(笑)いつもと違う構図、いつもと違う出会い、何の意味もない場所で出会うのが、ベストなんじゃないですか。意味もなく会話しはじめて、あ、なんか面白いなこの人、とかってなって、「ちょっと今度一緒に博物館行きましょうよ」とかってなるのが一番恋じゃん(笑)。うん、それがベスト・オブ・ベストなんじゃないかな。
だからホント、そういうこと書こうと思いましたね、書かなかったですけど。銀色夏生ではないので。

――恋のときめきを経て結婚したいっていう人、ロマンチックラブイデオロギー(愛するがゆえに結婚する)に則っていきたい人にとっては、婚活は向いてないってことですよね。

ワクサカ 婚活自体はいい仕組みだとは思いますよ。でも、そこに恋愛を求めて行っちゃったら、まあ場違いじゃないですか。
それに、そこに待ち受けてる男たちは、のっぴきならない理由があって結婚を求めている奴らなわけで。男側に真摯な「自分は結婚しなきゃいけない」っていう理由があれば、たぶんそこに来ている女性ともそこそこ目的が一致するんだろうけど。でもその他にも、家の理由とかさ、自分でもよくわかってない実体のない理由でそこに来てる男って、まあいるわけですよね。それって、ちょっと危険じゃないかな、と。ちょっと極論を言ってますけど。もちろん婚活パーティーから生まれる幸せもあるとは思ってますよ!

――ワクサカさんの身の回りで、婚活業者や婚活パーティーを利用した経験のある男性はいないんですか?

ワクサカ いないんですよ。辻さんはどうです?

辻 周りにはいないです。でものっぴきならない理由じゃなくても、自分の日常生活ではパートナーを作れないから、そこに行くというのはあるんじゃないですか。

――私、男の人が一生懸命結婚しようとする動機が分からない。好きな女性がいない状態で、でも結婚はしたいっていう人の動機です。好きな子だからするっていうこと以外で、何があるのか。

辻 独りでおじいちゃんになるのが怖いとか。同性の友達がみんな結婚して、自分は独りでおじいちゃんになるのが寂しいんじゃないかって。

――寂しさですか。

ワクサカ 損得とかじゃないと思う。さきほど、恋愛は無意味だけど結婚すると意味になっちゃうと言いましたけど、多分「結婚」だって本質は無意味じゃないですか。ふたりで一緒にその「未知なる無意味」を選ぶっていう醍醐味はあるんでしょうね、結婚には。

――それはそうですよね。だから恋愛からだったら分かるけど、恋愛がない状態で結婚を望むっていうのは色々よく分からなくなる。

ワクサカ 日本の婚姻制度とか、戸籍制度には問題があると思っていますけど、結婚ってもの自体は、なぜか無意味に英語にするならば、そう、マリッジは、とても素敵なものって思ってます(急にキャラメルマキアートみたいな笑顔)。いいよね。ふたりで手を重ねて、「せーの」で……

――無意味な判子をポン。

ワクサカ 先の見えないとこに一緒に行こうっていうの、いいなって。それまでの構図と違う世界に、別の構図に「せーの」で跳ぶんですよ。

――婚姻届の提出はね、そうなんじゃないですか。でも結婚したら中島らもじゃないけど「生活」でしょう。

ワクサカ でも、だから本当にそうなんですよ、結婚って。言っちゃえばメリットなんてない。何が起きるか分からないというリスクはある。約束出来ないことがたっくさんあるから。奥さんが、他の男の人と恋に落ちて「ごめんね、好きな人出来ちゃった、ばいばい」って言われたら、もう夫は慰謝料請求する以外に何も出来ないじゃないですか。逆もまた然りですし。でもそういうリスクも込みで、無意味な世界に賭けて二人で未知なる景色を見てやろう、というわけでしょ? やっぱりいいものですよ。

すごく今の話いいです。夫婦別姓の議論はワクサカさんどう思います? 僕は結婚制度がうまく機能してないのは、結婚が意味の世界で縛られてるからだと思ってるんですよね。本来なら、無意味なのに一緒にいるっていうのが一番相手にもときめけるわけで。

――それはいいですねー。

だけど今の制度だと、たとえば名字は絶対に一緒じゃなきゃいけないですよね。国が夫婦を意味で縛ろうとするんです。「名字が一緒だから一緒にいる」ってもはや無意味ではない。そんな感じで結婚にいっぱい意味を詰め込んでしまうと、実際の関係性が空洞化してくるんです。無意味なのに一緒にいるっていう初期衝動を忘れちゃう。そうした意味でも、僕は夫婦別姓には大賛成なんですけど。

ワクサカ 夫婦別姓については不勉強なので、僕はスパッと何か言えないんですけど。でも、辻さんの言うように、結婚は最初は「せーの、ポン♪」っていう軽やかな無意味のノリで始めても、やがて必ず意味で満たされるじゃないですか。だって婚姻生活を継続することは、同じ構図を維持することだから。いずれは意味に満たされて窮屈になって、最悪は破綻したり、澱んだりするんでしょうね。それを「関係性の空洞化」って言い換えているのであれば、そうだと思います。

子供のために一緒にいる」っていうのも、ひとつの意味ですよね。

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