前回は、東村アキコの漫画『ヒモザイル』に関して、ヒモ男性を肯定する要素があった。金なし仕事なしモテないダサい、けど夢はある男性に対して、「夢を叶えるためには正攻法以外にも手段はある」というメッセージが込められていたからより炎上したと述べました。
■泥臭いフェミニズム・メンズスタディーズとしての東村アキコ漫画 前編 〜誰が殺したヒモザイル〜
それでは、金なし仕事なしモテないダサい、けど夢はある男性が、「夢を叶えるためには正攻法以外にも手段はある」という理念のもと、高給取り女性の好む容姿と性格で家事労働を負担する主夫となり、傍らで夢を追いかけることの、どこが読者の逆鱗にふれたのか、もう少し詳しく論じていきます。
女性の自立を妨げてきた「専業主婦の呪い」が反転している
この件に関して、「無理矢理男女をマッチングするなんて、絶対うまくいかない」という批判は、少し的外れです。たとえ、出会いに誰かの強引な介入があったとしても、それとは関係なく当人たちの気が合ったり、好みが合ったり、利害が合ったりして婚姻に至ることはあります。反対に、当人たちが相思相愛だと信じている恋愛や婚姻関係だって、破綻することはままあるからです。
私は、『ヒモザイル』炎上の核心にあったのは、次の懸念に尽きると考えています。
<ヒモザイルたちが専業主夫業の傍ら夢を追いかけ叶った時、経済的に自立した元ヒモザイル男性に、女性は捨てられるのではないか?>
つまり、ヒモザイル男性の抱く「夢」こそが、専業主夫と働く女性の結婚の継続にあたる障害になり得るもの、と捉えられたのです。高給取りの女性にとって、専業主夫男性の「夢」がリスクになり得るということです。
夢を叶えたヒモザイル男性が、『マイ・フェア・レディ』原作の『ピグマリオン』の主人公女性のように、自立して去ってしまう可能性は大いにありますよね。
「配偶者が夢を叶え経済的に自立したら、家事をやらなくなるのではないか?」
「配偶者が夢を叶え経済的に自立したら、子育てをやらなくなるのではないか?」
「配偶者が夢を叶え経済的に自立したら、自分を捨てて家から出て行くのではないか?」
それは、長い間女性の自立を妨げてきた呪いにほかなりません。
学問や仕事の機会、賃金の不平等といった社会的な差別や、「三歳児神話」や「過剰な母乳信仰」のような個人の精神の自由を否定する言説によって、女性が学問を修めること・働くこと・自立することなどは妨げられてきましたし、今も、それらの障害は完全に消えていません。
フェミニズムやウーマン・リヴは、長く、この性別によるハンディを解消すべく、女性の権利を向上させるために戦ってきた運動です。「配偶者の夢が叶うことが婚姻継続のリスクになる」というような理屈によって、権利や自由を奪われてはいけないのは、女性であろうと男性であろうと同じです。専業主婦であろうが、専業主夫であろうが、「収入のない(少ない)方だけが相手の利益のために尽くす」ということ自体が間違いなのです。
「配偶者の夢が叶うことが婚姻継続のリスクになる」
このことは、「専業主夫+働く女性」「専業主婦+働く男性」という夫婦モデルにおいては、「収入がない(または少ない)方が家事を負担する」、「収入がある(または多い)方が、より良い思いをすべきである(権力が強い)」という構造が成立することが多いという事実を浮き彫りにします。
『ヒモザイル』は、ミサンドリーとミソジニーとメンズリヴが同居したメンズスタディーズの物語であり、『ヒモザイル』を批判するジェンダースタディーズ的見解の陰には、以前は「ミソジニー」として女性の自立を妨げていたものが反転し、「男性が自立するために結婚を利用するのは許せない」「ヒモは許せない」という思いがあったことは忘れてはなりません。
また、『ヒモザイル』の炎上からは、「売れないヒモミュージシャンは、売れっ子になれば糟糠の妻を捨て売れっ子の女優やタレントに乗り換える」という、今なお火が消える気配がないゲスの極み乙女。&ベッキー不倫事件にも似た匂いを嗅ぎ取れます。「(お金と時間を)尽くした女(妻)が不利益を被るなんて許せない」わけです。『ヒモザイル』の炎上は、これらの複雑な利害関係をあぶり出したのです。