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「倫理的に」「人として」なる言葉の暴力性と同調圧力

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Photo by United Soybean Board from Flickr

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2年前、大学生だった私は酪農インターンに参加し、1週間、牧場に泊まり込みで働きました。酪農家を目指していたわけではないのですが、毎日動物の動画を見てストレス解消していたので、牛と思う存分ふれあえるなんて天国かよ……と思い応募しました。

酪農家のお仕事は考えていた以上にハードでした。毎朝3時に起きて、夜の8時まで働く生活。牛は身体が大きいため、エサもフンの量も尋常ではなく、基本的に力仕事でした。腕力も握力も常にクラスで最下位だった私はすぐに腱鞘炎に……。生き物を相手にする仕事はやはり大変です。酪農家の方って、本当にすごいなと思いました。当たり前のように、毎日牛乳を飲めることに感謝します。

そんな厳しい仕事でも楽しめたのは、何よりも牛のおかげです。牛って可愛いんですよ。犬や猫を好きな方なら絶対に好きになると思います。3歳児程度の知能はあると言われ、人を識別します。インターンの私はニューフェイスだったので、興味津々な目で見つめられたり、ペロペロ舐められたりしました(牛も犬のように、興味があったり好きだったりするものを舐めます)。色々な性格の子がいて、私を好いてくれる子もいれば、“フッ、新米ね”という感じで(精神的に)ナメてくる子もいました。

特に可愛いなあと思った瞬間は、水飲み場を掃除していたとき。私がせっせと掃除していると、牛が私の腕と胴体の間にひょこっと顔を出してきて、「何やってるのー?」と言いたそうな顔で掃除する私の手を見つめたり、「かまってよー」という視線を送ってきたりしたのが、もう可愛くて可愛くて。頭とか背中とか、たくさん撫で撫でしました。ああ、酪農インターンもう一回行きたいなあ……。

そんな牛の可愛さを知ってしまった私も、牛肉は食べます。私がお世話したのは肉牛ではなく乳牛ですが、乳牛もお乳の出ない年齢になったら出荷され、お肉になります。……牛肉、美味しいですよね。大好きです。

インターン中に思い出したのは、イルカやクジラ、犬を食べることに対して反対運動を行う一部の動物愛護団体でした。それらの動物には知能や情緒があるため、殺して食べるのは残酷だ、「倫理」的に間違っている、と主張する彼ら。彼らは、牛や豚、鶏についてはどう考えているのでしょうか? もちろん、同時に牛や豚、鶏を食べることにも反対する人もいますが、イルカ、クジラ、犬の方が反対運動の規模が大きいです。牛や豚だって知能は高いし、愛らしい面も持っているのに……。美味しいし、飼いやすいからでしょうか。結局、人間本位ですね。そもそも、“知能や情緒がある動物は食べてはいけない、知能・情緒が低いならば食べてもいい”という考え方自体も人間本位です。自分自身も含め、人間って随分勝手で自分本位な生き物だなー、と思いました。そして、「倫理」って何のためにあるんだろうか、と考えるようになりました。

ここで言う「倫理」は、学術的な定義ではなく、私たちが日常生活で何気なく使う「倫理」という言葉を指しています。

「倫理」という言葉は生殖医療に関する議論でも多く使われます。今、生殖医療の研究が盛んです。受精卵のゲノム編集、iPS細胞による生殖細胞の作製、代理母、同性間生殖など、様々な生殖医療に関する技術が数年後には可能になると言われています。代理母など、すでに実行されているものもあります。そういった技術の適用は賛否が分かれ、学術的な場、メディア、SNSなどの様々な場で激しい議論が交わされています。“ゲノム編集は倫理的に問題があることは明らか”“同性間生殖は倫理に反しない”ツイッターを開くと種々雑多な意見が飛び交い、個人個人が掲げる論理や感情でタイムラインが混濁しています。最近では、東京ディズニーシーにて同性結婚式を挙げられたレズビアンの東小雪さんが、「ゲイのための代理出産と卵子提供セミナー」を開き話題となりました。

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