「母に認めてもらっている」の意味
よく「お母様は仕事を認めてくれたのでしょうか?」「両親ともさすがにショックを受けていらっしゃるでしょ?」なんて質問や、辛辣な疑問を投げかけられることがあります。やっぱり、気になりますよね。「家庭環境が悪かったのかな」とか「お金がないのかな」とか……。AV女優になる動機に関してもネガティブに捉えられることが多く、中には「そういう辛い状況でAVデビューしたって考えると、興奮する」というオナネタ材料として不幸な女優を求める男性もいるようです。私の場合、母親に“認めてもらって”はいます。
……こういうことを言うと、もう、大変。「そんな母親頭おかしいでしょ」「狂ってる」なんて、AVに勝手に出たのは私なのに、なぜか母親に批判が殺到することもありました。ただのとばっちり。母に申し訳ないし、辛い思いをさせてしまったのは重々承知しつつ、あまりにも炎上が激しい時は、「別に人を殺したわけでもないのに大げさだな」と呆れてしまうこともあります。盛り上がっている批判部隊を眺めているうちに、「きっと関わったことのない未知の世界は『触れてはいけない闇』のように扱われ、過小評価されやすいのだ」と次第にわかってくるようにもなりました。
ひとつだけ声を大にして言いたいのは、「母に認めてもらっている」とはいえ、進んで「よし、AVで立派に稼いで来い!」なんて運びではなかった、ということです。
本当は普通に就職して、普通に結婚して、普通に子供を産んでほしいなどの自分が掴んだような幸せを願ったり、もしくは優良企業に勤めて玉の輿に乗ってほしいなどのちょっとした欲を上乗せした希望を、親は子供に抱いているはずなんです。私の母も例外ではありません。小さい時から手塩にかけて育て、エリート街道へ進むことも夢見ていたのに、まさか娘がアダルトの世界に足を踏み入れるとは微塵も想像していなかったでしょう。それでも、最終的に「元気に楽しく生きていてくれるならいい。職業に貴賤なし」と、深い愛情でしぶしぶ了解してくれました。眠れない辛い夜もきっとあったでしょうが、“親なりの苦しい応援の形=認める”、ということになったのです。
ここをいつも省略して話してしまうから、本来の意味で受け止められずに「納得できない」と批判されるのかもしれませんね。
私はそんな親の心の葛藤を覗き見たわけでもないし、女優さんの中には家族に勘当された方もいらっしゃいます。親だけでなく、恋人や友達をも傷つけてしまっているかもしれない。それはとても罪深いことでもありますが、自己表現の手段として、絵を描こうが文章を書こうが身体を酷使しようが、そこに本質的な価値の差異はないのではないでしょうか。少なくとも、私は自己承認欲求に駆られながら、作品に残ることや見てもらえることが楽しくて仕事を続けています。