「ドリームハウス」はバービーの家というコンセプトなので、家事的ともいえる「キッチンでカップケーキ作りのバーチャル体験ができる」アトラクションもありますが、それ自体を性差別的と捉えるのは少々短絡的です。家で家事(カップケーキ作りは必要な家事よりは余暇的ではあるが)を楽しむことは、女性であれ男性であれ悪いことでは決してありません。問題なのは、「女性が家事を楽しむこと」ではなく、「女性であるという理由で家事を押し付けられること」や「女性であることを理由に職業選択の自由が与えられないこと」だからです。
もうひとつ、紹介しましょう。アメリカオレゴン州立大学の研究メンバーによる調査で、「バービー人形で遊んでいると、大きくなった時キャリアの選択肢が制限される」という結論が導かれました。この調査は、アメリカ太平洋岸北西地区に住む4歳~7歳の少女37人を対象に、ドクターバービーかファッションモデルバービー、もしくはMrs.ポテトヘッドという人形で遊んだ後、10の職業の写真を見てもらい、将来自分たちもしくは男の子たちが就ける職業はいくつあるか尋ねたものです。すると、バービーで遊んでいた少女たちの方が、ポテトヘッドで遊んでいた少女たちよりも、「女子が就けると思う職業の数」が「男子が就けると思う職業の数」に比べて少なかった。この調査結果を研究チームは、「なんにでもなれるバービーのはずが、少女たちはバービーにその可能性を見い出してはいないのではないか?」「被験者の性格ではなく、バービーのようなタイプの人形が仕事への意欲の差を植え付けている」と結論づけていますが、被験者の数が少数であること、「ルックスに捕われると勤勉ではなくなる」とでも言いたげな結論の出し方など、少々強引ではないでしょうか。
それ以外にも、「肌をあらわにした服装に恥ずべきポーズは、西洋文化の退廃と堕落のシンボルだ」「バービーは道徳への脅威である」という理由で販売禁止になっているサウジアラビアのように、バービー人形は宗教と国際政治上の問題にもなっています。
バービー人形はなぜ変わらざるを得ないか
こうしたいくつもの批判を経て、マテル社は「金髪碧眼でスタイル抜群のスーパーウーマン」ではない、多種多様のバービー人形開発を決断したのでしょうか。近年の子供は自分の容姿とかけ離れた容姿の人形を好まないという調査結果や、人形で遊ぶ子供自体が減ってバービー人形の売り上げが低迷したりということで、マテル社も苦心したことと思われます。様々な観点から批判され、売り上げにも伸び悩むバービーが、ポリティカル・コレクトネス的な美を求めることは、反差別主義からだけでなく、それ以上に資本主義の観点においても必然であったのでしょう。
しかし、こうしたポリティカル・コレクトネス的な美でもあるバービー人形の美が、真にポリティカル・コレクトネス的であるか? という点では疑問が残ります。マテル社の公式写真を見る限り、新・バービーも、従来の(白人バービー的)美の規範からの逸脱は最小限に限られているからです(太りすぎていたり、あばらが浮くほど痩せすぎている、胸が平坦な貧乳体型のバービーは、やはりないのです)。そのため、私としては、同社が多様なバービーを売り出すことに決めた動機の中で、「近年の子供は自分の容姿とかけ離れた容姿の人形を好まない」ということが一番であると推測しています。