ゲストの田原総一郎が、かつて「週刊新潮」(新潮社)に自身の不倫を暴かれた話になったとき。田原は「書かれたもん。不倫したわけよ。不倫した相手と結婚した。最終的にはね」とアッケラカンだったが、若槻が「(不倫でも)結婚したらOKみたいになってません?」とツッコみを入れると、すかさず小籔が「あれキモイですよね! ほんまキモイ」とかぶせ、そのまま番組はエンディングを迎えた。小籔としては、一度結婚した夫婦は、不倫などで波風が立っても、関係を修復して添い遂げるべきだと考えているようだ。
美味しいところだけつまんでポイ捨て――つまり既婚男性が、独身女性の若く美しい時期、恋愛の楽しい側面だけを選び取って堪能し、遊んで捨てるよりは、「結婚」という公的な契約を結ぶほうが、世間的に良いイメージがあることは確かだろう。実際、入籍して共に暮らしてみたら、うまくいかなくなってしまう夫婦なんてたくさんいる。結婚後に、配偶者以上に愛する誰かと出会ってしまうこともある。そうした問題は、努力や忍耐で乗り越えられることばかりでもない。
田原は最初の結婚中に、日本テレビのアナウンサーだった節子さんと不倫関係になり、離婚して再婚。その経緯や節子さんの闘病・介護も含め、夫婦の日々を綴った『私たちの愛』(田原総一朗、田原節子著/講談社)も出版している。後ろめたいことでは全然ないわけだ。一方で、不倫から再婚、いわゆる略奪婚となったカップルは、プライベートを隠しておきたくとも、芸能人であるがゆえに一連の流れを追われ、報じられてしまうケースが少なくない。たとえばウッチャンナンチャンの内村光良は妻が前夫との婚姻中から交際して略奪。独身男性が既婚女性を、という珍しいケースだ。とんねるず石橋貴明は、前妻と別れてすぐに鈴木保奈美との結婚と彼女の妊娠を発表。いずれも詳細を書籍化どころかインタビュー取材などでも明かしてはいないが、顛末が広く知れわたっている。これを堂々と出版したのが布袋寅泰。最初の妻・山下久美子との離婚、今井美樹との再婚を、布袋は自著『秘密』(幻冬舎)で「略奪じゃない。俺が美樹ちゃんを好きになってしまった。悪いのは全部自分」と述懐している。山下のほうは、同じく幻冬舎から出した自著『ある愛の詩』にて、12年の結婚生活に終止符を打つにあたって、今井美樹の存在が大きかったことをはっきり記している。まだまだ書ききれないほどこうした芸能人カップルは大勢いるが、小籔はこうしたいくつものカップルに「キモイ」と宣戦布告したわけである。というか、不倫から再婚に至った田原の目の前で「キモイ」と発したのだから、堂々としたものだ。着実に、新時代の御意見番の地位を固めている。
さてしかし、小籔の意に反して、テレビは不倫を否定するという建前をもはや持続させようとしていない。この4月期からの連続ドラマは、“不倫もの”が3本。連発される。栗山千明と市原隼人による『不機嫌な果実』(テレビ朝日系)、前田敦子が主演する『毒島ゆり子のせきらら日記』(TBS系)、そして映画『ゴーン・ガール』そっくりのあらすじである伊藤英明主演の『僕のヤバい妻』(フジテレビ系)だ。少し前にヒットした『昼顔~平日午後3時の恋人たち~』(フジ)のように、ムーヴメントを起こすことを各局期待しているようである。思えばテレビの普及から現在まで、テレビが「大前提としてアカン」とモラルを提示する装置だったことなどあっただろうか。小籔の「チビッ子が見ているんだから」という建前重視の論旨は、今の時代だからというわけではなく、テレビ業界のスタンダードから見ればまったく的外れなのではないだろうか。
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