病気で会社を辞めた元彼女のミョンちゃんは今何をしてるかというと、南の国で語学留学中なのです。
もう日本に戻ってこないと言って空港から飛び立って、それで縁が切れたかというとそうでもなく、ちょくちょくメッセージのやりとりやLINEの通話などは続いていました。今日はブラジル人とデートした、明日はシンガポール人とデートだ、といった話に僕は適当に相づちを打ち続けていました。語学学校に集う人たちはさすがに多国籍だなぁ、と思いました。
そんなこんなではや二カ月が経って、ミョンちゃんは手続きやら何やら諸々の用事のため一旦日本に戻ってきました。またすぐに海外に行くらしいのですが。戻ってきた、といっても、日本は彼女の母国じゃないからどういう感覚なのかわからないのですが、僕は「戻ってきた」という表現を使い続けました。彼女の国籍は韓国だから、働いてないとビザの問題とか色々あるらしいのですが、それでも「戻ってきた」と思いました。
「会おうよ」
とミョンちゃんが当たり前のように電話してきました。「奥山くん、東京までおいでよ」と言われて、一体あの別れ話みたいなあれやこれやはなんだったんだ、という気になりました。
僕は無視して電話を切りました。
そして小説を書くことにしました。
今となっては現実逃避でしかない、小説を書くことにしました。
現実というのは全く、嫌になることばっかりです。うんざりすることばっかりです。就職活動もうまくいかない。だから僕は、小説の世界に思いっきり逃げ込むことにしました。
朝も昼も夜もなく僕はただキーボードを叩き続けました。書いても書いても小説の中の無職は働こうとしません。あれやこれやと言い訳ばかりして、毎日を無為に過ごしているようです。書けば書くほど死にたくなったけど、僕は小説を書きました。
僕はもしかしたら、意地になってるんでしょうか。近ごろ、どんどん人の話が素直に聞けなくなって、頭の中が凝り固まっていく感じがしています。
しばらくしてまたミョンちゃんから電話がかかってきました。携帯が何度も震えました。僕は電話に出ました。
自信に満ちあふれた無職
僕「なんなんだよ!」
ミョンちゃん「私に会わないで何してるの」
僕「小説書いてるんだよ。悪いかよ? 働かないで親のスネかじってエアコンのきいた部屋で昼夜逆転しながら小説書いてなんか悪いかよ?」
得意のヤケクソ開き直りです。僕はその間も電話しながらひたすら小説を書いていました。小説の中の無職と現実の僕はどんどんシンクロしていきます。「あー、じゃあ私が京都行こうかな」とミョンちゃんは言ったので、止めました。
ミョンちゃん「なんか色んな人とデートしてみたんだけど、みんなちゃんと自信に満ちあふれてるんだよ。でその度に、なんでこのグイグイ来てる奴が奥山くんじゃなくて別の男なんだろう、って思うわけ、無職とかさ、そんなことどうでもいいから、イニシアチブとって『おいお前、黙ってオレについて来いよ』って言ってくれたらな」
イニシアチブを取ってぐいぐい引っ張っていく自信に満ち溢れた無職の元カレ、というキャラクターを想像しました。相当ヤバい奴だと思った。男もヤバければ、そいつについていこうとする女も大概ヤバい。
僕「あのな。僕は働いてないの。会う資格ないの。もう人生どうでもいいの。死ぬから大丈夫。問題なし。バッチOK。何故ならこれが僕の昔からの夢だったから。作家志望で作家になれなくて無職で引きこもりでどうしょうもなくて僕はダメだって言ってる大人に憧れてたんだ。だから大丈夫万事解決! 今のこれが僕の理想型にして究極の完成形態なんだ!」
そこまで言って僕は電話を切りました。小説に戻りました。小説の中の無職はいつの間にか殺人鬼になってどんどん人を殺していきました。こんなんでいいんだろうか、と僕は疑問に思いながらも、とにかくやたらめったら書き散らしました。
その間もミョンちゃんは二日に一度くらいの頻度で、「今日髪切った」「服買った」「ネイルした」「今お風呂入ってる」と話しかけてきたり写真を送ってきたりで、僕は適当に相づちを打ちながら小説を書きました。
それから深夜に散歩しました。当てもなく一時間以上、足が棒になるまで足を動かしました。
人生どうすればいいのかわからない。人生どうすればいいのかわからない。
一人言をぶつぶつつぶやきながら歩いていたら、道ですれ違った人に気味悪がられました。それも当然だと思いました。これが小説なら刺し殺しているところですが、僕は現実には常識感覚溢れる一介の気弱な無職なので、ビクビク背を丸めてすれ違いました。
僕は冷たい人間なんでしょうか。
ミョンちゃんは久しぶりに日本に、東京に戻ってきていて、まぁ、会いに行こうと思えば行けて、今会いに行かなかったら半年以上会えないんだけど、どうしても会いに行く気になれないのは何故なのでしょうか。
夜中寝ぼけていたら携帯が震えました。ミョンちゃんかと思って確認したら、婚活サイトからのメッセージでした。
「できれば男性からデートに誘いましょう」
婚活サイトまで! 僕のことをバカにしてる! 世の中の人みんなが僕のことバカにしている!
なんか猛烈に腹がたってきました。この勢いでガツンと言ってやろうと思いました。今日こそはガツンと言ってやろうと思いました。深夜だろうと寝ていようと関係ありません。僕はミョンちゃんに電話しました
僕「お前は、僕のこと、好きだろ!?」
シーン、と沈黙が流れました。
ミョンちゃん「はいはい。じゃあ、はやく小説家になってちゃんと売れてちゃんとプロポーズしてね、奥山先生」
僕「おう、任せとけ」
もう寝るから、と電話を切られてしまいました。……任せとけ、じゃねーんだよ! アホなのか、僕は。
布団を被ってうずくまりました。恥のあまり死にたくなった。またやってしまった、と思いました。
女の人が怖い
いつも僕は、空回りばっかりしています。
……そう、例えば初体験のときもそうでした。
当時付き合っていた彼女と、サークルの飲み会から抜け出して夜の四条を歩いていたんです。僕たちは同じ映画サークルに所属していました。他の女の子とデートしてるときにトイレでゲロ吐きながら電話をかけて、その女の子に告白して、OKをもらい、付き合うことになったというのが馴れ初めでした。ゲロ吐くまで酒でも飲まないと告白なんてやってられなかったんです。
さて、僕たちはとぼとぼと夜の繁華街を歩いていました。付き合って二週間です。僕の頭の中はヤることで一杯でした。なんとなく、さりげなく、いい感じで…………ホテルに行けたら……いや絶対行こう、と思っていました。僕は彼女の手を引いて歩き続けました。
ところが、です。
普段何の気なしに歩いてたときには嫌なくらいに目についたラブホテルの看板が、何故かそのときさっぱり見あたらなかったのです。いくら地方都市といっても京都一の繁華街です。ラブホの一軒や二軒あるハズです。なのに、探せど探せど見つからない。
僕たちは一時間歩きました。見つからない。
ふと遠くに看板が目につきました。
「ホテル チャペルクリスマスまで 10分」
助かった、と思いました。
ところが、後日知ることになる事実なのですが、その看板、実は車で10分、って書いてあったんですね。それを僕は見落として、徒歩10分だと勘違いしました。
あれ、おかしいな、そろそろ見えてくるハズなんだけどな、とか言ってるうちに、僕らは人けのない真っ暗な道をどんどん迷い込んで行きました。スマホとか地図アプリとかまだなかった時代です。凄いんですよ。僕、彼女の手をグイグイ引っ張ってトータル三時間歩き続けたんです。そしてついに彼女がブチギレました。
「ふざけんな、カス!」
鬼かと思った。マジで超怖かった。でも今から思えば、よく三時間も我慢したな、偉いな、と思います。ノーベル我慢賞を授与したい。
空回りして空回りして凄い回転していくんです。このエネルギーで日本の電力問題、解決出来るんじゃないかってくらいです。
あれは、なんなんでしょうか? そういうとき、僕の脳内は完全にスパークしています。何か独特の熱狂にとらわれて、殆どトランス状態、邪神が憑依したかのように訳の分からないことをしているんです。そして我に返ったときには、酷いことになっているんです。
どうにかしたい。でも出来ない。
思えばミョンちゃんに対しても、僕はこれまで空回りの連続です。今まで縁切られなかったのが不思議なくらいです。
空回りしないためにはどうしたらいいでしょうか? ここぞというときにアサッテの方向に向かい出すこの癖をどうにかしたいんです。
真面目に言うと、僕という人間はいつも何かどこかピントがズレていて、何か人生の真実みたいなものを、いつもちゃんと捉えられないのです。いつも芯がずれているんです。ちゃんと、出来ないんです。
いや……よく考えてみれば、これはまるで僕の人生そのものだという気がしてきました。歯車が全く噛み合ってない、今もいつもずっと現在進行形で僕は空回りし続けているのです。それともここまで来たら、このまま空回りし続けるべきなのでしょうか? そしたらどこかへ行けるでしょうか。……ここまで、ってどこまで来たのかさっぱりわからないし、どこに行きたいのかもわからないのですが。
でも、僕は好きで空回りしているのかもしれません。薄々、それには実は気がついていました。だって、空回りしている間は、何かと誰かと真面目に向き合うことを避けていられるからです。シリアスをコメディに、変えてしまえるからです。
でも……それでいいのか? と思います。それでいいんだよ、ともう一人の僕がつぶやきます。
何故なら、人生の真実は虚無だからです。
空回りするのをやめるとき……多分それは僕が、死ぬ日だからです。
それでも最近、ふと思います。
だとしても、もう、僕は空回りをやめるべきなのかもしれない。
そんなことを考えます。
明け方に、空が白み始めるころ、僕はそう思ったりします。