皆さんは、初恋の人の名前をインターネットで検索したことがありますか?
それって大抵は、人生がうまくいってないときにするものなんじゃないか、と思います。
人生がうまくいってない人間の筆頭格である僕は、ある日インターネットでしこしこ歴代の好きだった人を検索していました。
ヒットする人もいれば、しない人もいた。学生時代のスポーツでの入賞記録とか、文化活動での入選記録とか、そんなのが引っかかったりした人もいた。そうして、検索を続けていくと、最後に初恋の女の子に行き当たりました。
まぁ、正確には二番目に好きになった女の子なのですが、本当の初恋の子はあまりヒットしなかったんです。高校で生徒会長になって、京大に入ってボート部でマネージャーしてたくらいのことしかわからなかった。
で、その二番目の女の子の話です。
それは小学四年生のときのことでした。
僕たちはよく席替えで隣になりました。多分、その偶然からか、一緒に学校から帰るようになりました。とはいえ、通っていたのは私立のカトリック系の小学校で、遠方にあったため、二人とも電車通学。一緒に帰るといっても、駅までの十五分ほどのことで、そこからは別々の方向の電車、登校班も違いました。
何を話したかなんてほとんど覚えてないけど、僕はその子のことが好きでした。小学校でも先生やクラスメイトからいじめられていた僕に対して、その子だけは優しかったからです。物静かで、でもすごく芯の強い子でした。
そんな淡い恋心も、クラス替えと共に自然消滅し、僕は受験で別の中学へ、彼女はそのまま系列の中学校に進学したはずでした。そのまま、二度と会うことはありませんでした。
その彼女は、その後宝塚音楽学校に進んで活躍し、朝ドラにも出ていました。
衝撃でした。
「先に行って待ってる」
超、活躍してんじゃん。
びっくりぽんでした。
バラエティーにも、ゴールデンのドラマにも、蜷川幸雄の舞台にも、大活躍です。
しかも、もの凄い活発なキャラクターになっているんです。僕は彼女の動画をインターネットで漁りました。すごい度胸のある、エネルギー溢れる人間でした。元々内にあったエネルギーが、外側に力強く発露されている。そんな印象でした。
おいおい、やべーな、と思いました。
何がやばいかというと、このままでは僕は、彼女のことを自慢してしまいそうだったからです。たいした知り合いでもないのに、多分向こうは忘れているに違いないのに。
そう、このままでは僕は、知り合いが有名になったことを自慢するオッサンになってしまいます。
想像しました。
両親に愛想を尽かされて実家を追い出された僕は(みなさんお忘れかもしれませんが、僕は現在進行形で追い出されそうになっている最中なのです)薄暗い工場で働いています。休憩中に職場の人間たちと塩辛い弁当を食べながら、僕がぽつりと言うのです。
あの子、知ってる?
ほら、ドラマ出てるじゃん?
昔、クラスで同級生だったんだよね。
僕、喋ったことがあるんだよね。
………………………………………………。
ああああああああああああああああああああああああああああああ!
僕は頭をかきむしりました。そんな人間にだけはなりたくない!
僕が無職してる間に、みんなどんどん有名になっていきます。こないだのレッド先輩しかり。大学時代の友人Mくんは漫画家として成功し、今はアニメ化で絶好調です。
……そういえば、卒業間近の大学四年の頃、Mくんに言われたことがありました。
今でも覚えています。その頃Mくんはプチ音信不通というか、連絡が取れない時期が続いていました。
彼は教職も取っていたし、当初は普通に就活もする予定だったのですが、直前になって引きこもり、漫画を描いて新人賞に応募していたのです。そして彼は、地方自治体が主催する、とある漫画賞を受賞しました。
学食の前のベンチのとこで、立ったまま僕たちは話しました。
そのとき彼が放った言葉は、強く印象に残っています。
「オレ、もし賞が取れなかったら、二度と奥山くんとは会えないと思ってたんだ」
その台詞は、もしかしたら人によっては、奇妙に響く言葉なのかもしれません。でも、僕はそのとき、彼のその言葉の意味が、痛いくらいよくわかりました。
「先に行って待ってる。いつかそのときが来るまで、漫画、上手くなってるから」
いつか一緒に漫画を作れたらいいな、というのが当時の僕たちのささやかな夢だったのです。『G戦場ヘヴンズドア』という、まぁ今で言う『バクマン』みたいな漫画を読んでて、影響されていたのです。元野球部で、浪人していたので一個年上であるMくんの、さっぱりとした性格が僕は好きでした。
僕は無職なので、恥ずかしくて、彼に会えていません。
勝手に「連載」してた
・いじめはもちろんダメだけど、今までの流れでホントかな? と思ってしまう。大学では普通にやっていたんですよね。
そういえば、こんなコメントがついていました。
僕が変わったのは、本がきっかけでした。別に何かマニュアル本や自己啓発本を読んだわけではありません。ただ、何十冊か本を読んでいるうちに、意味のわからない言葉に出くわしたのです。それは服や容姿の描写であったり、表情や身振りから相手の感情を読み取ろうとする意識の流れであったりしました。その不思議な文字の羅列について考えているうちに、まるで知恵の実を食べたアダムみたいに、突然それまでの自分の全部が、恥ずかしくなったのです。おしゃれもせず不潔だった僕ですが、高校進学を機に、小説や漫画を参考にして、美容室に通い髪型を変えてコンタクトにし、作品の中に出てくるブランドの服を買いました。例えば安野モヨコの『花とミツバチ』にSTUSSYとか出てくるじゃないですか。それはさすがに似合わないから買いませんでしたけど。ビクビクしながら、おっかなびっくり、ユナイテッドアローズとかに行った。近寄ってくる服屋の店員がザクに見えた。
見た目が変わって少しはマシになったものの、僕は人とマトモに喋れませんでした。何故なら、ずっといじめられていたからです。長年、マトモに喋ったことがなかった。
僕にとって、人と普通に喋ることは、とても困難なことでした。以前の相談は、空回りに関することでした。僕は常に空回りしていました。意志と正反対の言葉が出たり、言うべきじゃないことを言ったり、そうして相変わらず人に嫌われていました。
いつも、頭の中には愚痴と弱音と、現実に対する言い訳が渦巻いていました。
うまく話せないから、それを文章にした。
読ませる相手なんて、身近に誰もいないから、僕はそれをネットにアップロードしました。
小説家の高橋源一郎が、失語体験のリハビリとして小説を書き始めた、という有名なエピソードがあります。今から思えば、僕のそれもどこか似ていたと思います。
どう話していいかわからなかったから、全部文章にした。こんなハズじゃなかった、本当はこう言いたかった、それを言葉にすることが僕のリハビリだった。
そうこうしてる内に、不思議なことに、だんだん、少しずつ、僕は人と喋れるようになっていきました。自分の思っていることが、ちゃんと言えるようになった。そして、目の前の相手が何を考えてるのか、読み取れるようになっていきました。
世の中には物好きがいるもので、僕のネットの文章を熱心に読んでくれる人がいた。同時に、学校の課題で書いた作文なんかも、何故か先生に気に入られて、毎週のように印刷されて、学年中で配られるようになっていった。隣のクラスの面識のない子がファンレターを渡してきたり、ネットの向こうの顔も知らない誰かから、メールが届いたりした。学校の授業で、インターネットで、僕は誰にも頼まれてないのに「連載」していたのです。
そうしないと、生きられなかった。
だから、必死だった。
その過程で、僕はたくさんの人と出会いました。それは、読み書きをしていなかったら、多分出会うことのなかった人たちでした。ネット経由で会った人の中には、サラリーマンもいたし、鬱病の人もいたし、アーティストもいたし、編集者もいたし、絶対普通に生活してたら会わなかっただろうな、という人がたくさんいた。元カノのミョンちゃんとだって、文章を書いていなければ、きっと出会わなかったでしょう。
僕が取り戻した世界との接点は、僕の人間関係は、全部、書くことの延長線上にありました。その孤独な作業の先に行くと、人間がいた。
奥山村人の消滅
そう、まぁそんな訳です。文章を書き始める前の僕は、今よりもずっと酷くて、本当にくるんくるん空回りしていました。
僕は好きで文章を書き始めたわけではないのです。たくさんある選択肢の中から、自由意志で選んで、楽しくて書いてるわけじゃない。他に、何もなかったのです。
僕は、書き続けないと、そのうち壊れてしまう気がします。
空回りしないで、真実に触れるために、僕が出来ることは、文章を書くことだけなのかもしれません。
書くことは、読まれることと必ずしもセットにはなっていないのかもしれません。誰にも読まれない文章というのが、あるのかもしれない。それでも、全ての文章は、誰かに読まれることを待っている、と僕は思います。僕は人に読まれることで、世界と関わり続けたい。その希望を、捨てずに生きていきたい。
ここまで書いて、ふっとパソコンの画面から目をそらし、顔を上げたら、目の前にもう一人の僕が立っていました。彼はニヤニヤ笑って、
「なぁ、お前。嘘を書くなよ。嘘を書くなんて、一番最低で卑劣な、最悪な行為だよ。本当は、許せないんだろ? コメント欄の人間だって、憎いんだろ? 世の中の奴全員殺して、最後に自分も自殺したいんだろ?」
と言いました。
僕は何も言い返せませんでした。何故なら彼の言うことには、真実が含まれていたからです。
「お前、どいてろよ。才能ないんだよ。これからは、僕が書く」
そう言って彼は、僕を隅の方に追いやりました。